マスター・プラブジ、マスター・サティシュジ氏のタイトル

第33回
山田 周生 氏

やまだ しゅうせい

20代半ば、バイクでサハラ砂漠を単独縦断し、約2年間の世界放浪を皮切りに地球75周ほどの距離を走る。フォトジャーナリストとして冒険レース、アウトドアスポーツ、地球環境などの取材をしながら自然との共生を考え、アメリカンインディアンなどの先住民族の伝統儀式に触れ、聖地巡礼をする。

持続可能な暮らしとは何なのか、地球との共生する生き方とは何なのか、その答えを求めてガソリンスタンドによらず旅先で廃てんぷら油を回収、精製しながら二酸化炭素を出さない(カーボンニュートラル)車を自作して世界一周をする。

その後日本一周の旅に出かけ、日本の可能性を調査しながら各地を回って学びの旅を続け、2011年3月11日 岩手県花巻にて震災に遭遇。化石燃料に頼ることのないバイオディーゼル(BDF)車の利点を活かし、三陸での支援活動をスタートさせる。緊急物資搬送、被災者の送迎などを行う。その後、被災地に拠点を置き、新エネルギーを利用したエネルギー循環型自給自足のベースキャンプを作り被災地支援を続けてきた。

震災から11年が経った現在は、里山里海を利用しエネルギーと食の自給、心と身体の健康を大事にした昔ながらの暮らしと最先端の科学を融合した未来を見据えた小規模循環型持続可能な暮らしを実験実践中。


■ 山田周生さんの活動の様子
一般社団法人ユナイテッドグリーン https://unitedgreen.earth
一般社団法人ユナイテッドグリーン https://www.facebook.com/unitedgreen.biodiesel
橋野ECOハウス https://www.facebook.com/橋野ECOハウス-1131815456834551
菜の花大地復興プロジェクト in 岩手県釜石市 https://www.facebook.com/nanohanaproject.2011
バイオディーゼル燃料とバイオディーゼルアドベンチャー https://www.facebook.com/Biodiesel-Adventure-240428236025595
クリナップ グローバルジャーニー(旅の記録) https://cleanup.jp/life/global

Interview

サハラ横断と世界放浪 

テンプル ──

山田周生さんに初めてお会いしたのは、2020年の秋、盛岡で開催された白鳥哲監督主催の『恩送りフェスタ』に参加したとき。周生さんは講演者のお一人で、世界中を旅されるなかで目撃した地球の環境破壊についてお話下さいました。この日の周生さんの持ち時間は30分。サハラ砂漠縦断も含めスケールの大きなお話はとても30分では足りない。続きをお聞きしたく、2021年の1月にオンラインでのお話会を開催しました。その時の世界中の旅のお話や奇跡的なエピソードがまた桁外れで・・・。まだ聞き足りなかったこともあり、今日はあらためて周生さんのヒストリーや今後のことなどをお伺いできればと思っています。

では、まずは、サハラ砂漠をバイクで縦断するようになった経緯からお話しいただけますか。

周生 ──

中学の頃から、僕は相対性理論や地球物理学など宇宙の仕組みに興味がありました。僕は3歳ぐらいから絵を描くのが好きで、それも見たものを写生するのではなくて、自分の内側から出てきたものを手が動くまま描くのが好きな子供でした。

集団活動が苦手で、人にあまり関心がなかったので、いつも一人で遊んでいたんですね。絵を描くことで十分満足していましたし。高校は北海道の公立高校だったんですが、少し変わった学校で、受ける授業を自分で選べたんです。だから授業のない時間は、学校を抜け出しバイクで近くの湖や海まで走ったりしていました。

大学に入ってみると、周りの学生は遊んでばかりいるし、本当の目的が見えずこのまま大学に通って、どこかの会社に就職する人生は本位じゃないなと。

それで本当に自分がしたいことは何なのかと真剣に考え始めました。本を読んだり人と話をしたり・・・。でも、結局自分がしたいことを見つけることは出来ませんでした。この頃、エドガー・ケイシーの本を何冊か読んだ記憶があります。

では、このまま死んでもいいのかと自問自答すると、そうでもない。そして、「これをやらずに死んだら後悔する」と思ったのが、バイクで好きなだけ走ることだったんです。

それがきっかけで、まずバイクで日本を縦断したりしました。でも、日本は島国で狭い。信号もあるし、目的地にすぐに着いてしまい好きなだけ走れない。それだったら、アフリカの砂漠をバイクで走ろうと。

サハラ砂漠を走るバイク

とはいえ、バイクでサハラ砂漠を走った人の話は聞かないし、情報もなかったので、自分で調べたりお金を貯めたりして、2年後ようやくアフリカに行くことができました。25歳の時です。実は帰国するつもりはまるでなくて、とにかく砂漠を走って、そこで行き倒れたらそれが本望だと。そんな気持ちだから、サハラ砂漠を一人で縦断できたし、砂嵐になっても怖いと思いませんでした。