白木原 雪乃さんのタイトル

第28回
清水 浦安 氏

しみず うらやす

高校卒業後、居酒屋チェーン「養老の滝」の開店担当として勤務。21歳の時、父親と共にチェーン店オーナーとして「養老の滝 品川港南口店」、炉端焼き「太陽の子」をオープン。 ほっかほっか弁当株式会社を興し、フランチャイズチェーン店58店、宅配ピザフランチャイズチェーン「テキサスハンズ」39店、宅配天丼フランチャイズチェーン「天通」6店を運営。

平成3年、吉田寅次郎矩方(松陰)と名乗る霊人がコンタクトをとってくるようになり、松陰をはじめ、数多くの幕末の志士、昭和の財界人の霊から教えを受けるようになる。 平成10年3月3日より霊人中村天風先生が指導霊となり、約10年に渡って徹底的に宇宙万物の理を学ぶ。現在は倭姫命が指導霊となり、時に応じて神霊や霊人からも指導を受けている。

現代は「正しい霊育」が必要不可欠であるとの霊人中村天風先生の導きにより《ワンドロップ・プロジェクト》を開始。日本各地で聖歌隊を結成。自らが作詞した霊魂の歓びの歌を歌っている。

NPO法人 ワンドロップ・プロジェクト

https://onedrop.jp

Interview

テンプル ──

清水さんが始められた《ワンドロップ・プロジェクト》のお話を伺う前に、経営者時代の清水さんのお話をお伺いしたいと思います。以前は、フランチャイズで弁当屋を58店舗、宅配ピザ屋も39店舗経営していらっしゃいます。それだけお聞きすると、凄腕の経営者のように感じますが、昨年参加させていただいたイベントで清水さんが「僕は漢字が書けないし読めないし、敬語もうまく話せない」と言われていたことにビックリ。読み書きが不自由だという清水さんの経営者時代と霊界の中村天風さんから借金の返し方の指導を受けるようになったあたりのことをまずはお聞きしたいのですが・・・。

清水 ──

経営者だった頃の話の前に、保育園時代の話をさせて下さい。

保育園はお昼寝の時間がありますよね。保育園がお寺の中にあり、僕はお昼寝をしないでお堂の中を駆けずり回って遊んでばかりいたんですよ。線香の灰を撒き散らしたり、木魚を叩く棒でチャンバラごっこをしたり、いたずらばかりしていたんですね。 僕の保育園では子どもを叱る代わりに、こんな反省の歌を歌わされていたんです。

「のの様は、いつでも何でも知っている。僕のしたこと知っている。知っている」

これを振り付けをしながら、何度も歌わされました。 1回歌い終わると、もう1回もう1回と何度も歌わされたので骨の髄までこの歌が浸みわたっていますよ。あるとき僕がこの歌を歌っていたら、園長だったご住職さんが入ってきて「また君が歌っているのか」と呆れられて…。僕は園長先生にずっと聞きたいことがあったので、その時、思い切って質問したんですよ。「一体、のの様はどこにいるんですか?」と。すると袈裟を着た園長先生はひざまずいて僕の手を僕の胸に当てながらこう言ったんです。「ここにいるよ」と。その時「嫌なとこにいるなあ、心の中にいるなんて」と、このときのことが忘れられません。

僕は特に経営の勉強もしていませんし、お弁当屋が58店舗になったのも、ピザ屋が39店舗に増えたのも、偶然の産物。たまたまそうなったと思っています。最初は養老の滝の準社員になって、21歳の時、父親と一緒に「養老の滝」のチェーン店を経営。次に炉端焼き屋をやりました。

炉端焼き屋をしている頃、仕入れ先の近所に「ほっかほっか亭」いう弁当屋がオープンして、のり弁をしょっちゅう買いに行っていました。 その弁当屋を見ているうちに、僕もこういうのをやりたいなぁと思うようになったんですね。僕はそのときは猪突猛進型で、やりたいとなると「やりたいやりたいやりたい」という感じで、どうやったら弁当屋ができるのか、そればかり考えちゃうんです。

元々、養老の滝では開店担当だったので、厨房にはどういう設備や備品が必要か知っていました。ある時その弁当屋でアルバイト募集があったので、昼間3時間ほどアルバイトに入ることにしました。厨房で弁当を作りながら、だいたいのオペレーションを把握できたので、これだったら自分にもできると、24歳の頃、見よう見まねで「ほっかほっか弁当」を創業。場所も良かったこともあり、すぐに繁盛店になりました。

その弁当屋がその後、フランチャイズになっていったんですが、それもたまたまなんです。弁当屋は24時間営業だったので夜中に弁当屋で店番をしていました。毎晩のように弁当を買いに来る60代くらいのトラックの運転手さんがいたんですが、ある時、その人に「僕はもう運転手をするのに疲れた。弁当屋は儲かるのか?」と聞かれたんです。それで彼に「儲かりますよ~」と売上台帳を見せちゃったんです。説明しているうち「それだったら、やってみたらどうですかー?」と冗談半分に軽く言ってしまって。結局、お店をその人に売却することになったんです。

その売却話を聞いた父親は最初、カンカンに怒って。でも売却価格が初期投資金額の倍だと知って今度は「これは不動産ビジネスになる!」と大喜び。そして父親から「弁当屋の仕組みをフランチャイズにすべきだ」と言われて、自分なりに知恵を絞ってフランチャイズにしました。弁当屋を作っては「経営者の募集広告」を出して加盟店として店舗を売る…とやっているうちに、あれよあれよという間に58店舗になっただけなんです。

テンプル ──

“瓢箪から駒”にしても、チャンスを活かしてどんどん会社を拡大させていくなんて、やはり経営者としての嗅覚というか、才覚がおありだったのでは。

清水 ──

ところがですねぇ、その頃、スーパーのダイエーが「ほっかほっか亭」の弁当チェーン店を企業買収で購入したんです。ある時、大阪の地方裁判所から弁護士の名前がずらりと並んでいる内容証明書が届いて訴訟人の名前をみてビックリ。株式会社ダイエー、中内功と書いてあったんですよ。天下のダイエーさんがなんで僕の会社を!と驚いたんですが、類似商標だと訴えられました。結局、商標の件で直営店の弁当屋は閉じることになったんですが、チェーン店でしたから後始末がものすごく大変で。しかも、訴えられた時って、会社のプライベートブランドやロゴマークも作り、冷蔵庫も配送車も買って、集中的に調理して冷凍配送できる配送センターも作りで、かなり投資をして「さぁ、これから!」と意気揚々と張り切っていた時だったんですよ。そのタイミングでの訴訟。本当に落ち込みました。