白木原 雪乃さんのタイトル

Interview

テンプル ──

吉田松陰はどういったことを主に皆さんに伝えられたんですか?

清水 ──

当時の人は、孔子孟子の朱子学を主に学んでいました。吉田松陰もそうです。松陰先生に「何を大切にしていますか?」と質問したとき、答えてくれたことが今でも心に残っています。

『私心(わたくしごころ)を去り、公義の為、至誠を尽くす成り』

政治を為す者は常に公人であり私心があってはならない。公人は日本国のために働くのが当然であるから、そこに私心を持つこと自体がありえない。これが信条であり、これを全うするのが為政者である。集まった人が政治を志す人が多かったので、政治家たるものは・・・ということを学んでいきました。

テンプル ──

それにしても皆さんオープンハートですよね。亡くなった方の霊から学ぶわけですから。

清水 ──

あまりにも素晴らしいことを言うので「絶対、清水の言葉ではない」ことが分かったんでしょうね。それで吉田松陰から学んだ後、次の人を紹介して欲しいと、タモリさんの番組でやっていたテレフォンショッキングのように、次の人に「出てくれるかな?」「いいとも」という感じで繋がっていったんです。

吉田松陰の知り合いは誰がいいだろうかと次々名前を上げていって「高杉晋作さんはどうですか」と聞いたら「彼はまだ帰ってきてないから呼べない」と(笑)。でも「リンさんだったらいいだろう。リンさんと交渉してみる」とその会は終わりました。そしたら、次の週に本当に来たんです、勝海舟が。勝海舟の幼名は勝麟太郎なんですよ。ムチャクチャ面白い人でしたよ、勝さんて。

テンプル ──

急に勝海舟が現われても、何を聞きたいか私にはすぐに思い浮びませんが、皆さん、ちゃんと質問ができたんですか?

清水 ──

ですから事前にレジメを用意するんです。Oさんのお宅にあった立派なテーブルを数名で囲み、霊人たちが僕の中に入ってくるのを待って、話し始めるわけです。勝さんは性格が大雑把で適当。吉田松陰のときにはキチンと姿勢を正して話しているのに、勝さんが入ると急に態度が変わり、テーブルに肘をつきながら「それで何を聞きてぇんだ」とべらんめえ調で言い始めるわけです。答えるときも「そうだなぁ、それはなぁ」みたいなラフな感じで。でも、世の中を見る視点が全然違うんですよ。大きいんです。こんな凄い人だったんだと感嘆しました。

テンプル ──

やはり名を遺した幕末の志士達の世界観は桁違いに大きかったんですね。

清水 ──

しかも勝さんは人の話を聞くのがとても上手でした。たとえ意見が違う人でも「そうかそうか。そうだよな」「そりゃ面白いね」「君の意見をじっくり聞きたいな」「それからどうした」と相手の意見を次々引き出していくわけです。「そうかぁ。君の意見は凄いなあ」「すごい考えを持ってるんだなあ」と、相手の肩を抱くようにして話を聞いて、最後に「その君の力を僕に貸してくれないか」と相手を丸め込んでしまうんですよ。

テンプル ──

意見が違う相手でさえ、最終的には自分の協力者にしてしまう。

清水 ──

そうなんです。 本当に懐の大きい素晴らしい人でした。

そうやって次々と登場する人物が変わっていき、少しずつ時代が現代に近づいていきました。渋沢栄一さん、阪急の小林一三さん、トヨタの豊田喜一郎さんなど大企業の創業者が登場し始めて、僕は内心大丈夫かなぁとヒヤヒヤものだったんですが・・・。

テンプル ──

うわー。そんな方々が次々と講義をして下さるなんて、なんという贅沢な時間。録音した音声はないんですか?

清水 ──

その録音を起こして本にしたこともありますよ。瓜中万二というペンネームでたま出版から『本田宗一郎の大復活』という本を出しています。本田宗一郎さん、松下幸之助さん、豊田喜一郎さんといった方々のメッセージを紹介しています。しかも、その本の表紙がエドガー・ケイシーなんです。

『本田宗一郎の大復活』

テンプル ──

マジですか~!たま出版からはケイシーの本が何冊も出ていますからね。情報ソースが霊界ですから、当時はたま出版からでなければ出なかった本でしょうね。

清水 ──

瓜中万二というペンネームは、実は吉田松陰がペルーの黒船で密航しようとしたときの偽名なんです。彼は、長州藩や家族に迷惑がかからないよう偽名を使って当時のアメリカ大統領に書状を書いて密航しようとしたんです。

本田宗一郎さんが登場したときのことですが、本田さんにこう言われたんです。「君たちがやっていることは生温い。せっかくいい機会を得ているのに、こんな甘ったるいことでどうするんだ」 それで、メンバー5人それぞれに、「君は土光さん、君は松下さん・・・」といったふうに一人ずつ経営者を割り当て「次回のテーマはこれだから、勉強してそれぞれの経営者になりきってここに来い!」と宿題が出されるようになりました。

テンプル ──

本田宗一郎さんは長嶋茂雄さんのような感性と直感の経営者だと思っていました。実務的なことは全て右腕の藤沢武夫さんがされて、経営そのものには口を挟まないみたいな。

清水 ──

そんなことはないですよ。数字にも厳しかったです。例えば「君のところの社員は何人? 男性、女性の比率は? 年齢構成は?」と追及が激しかったですよ。つまり、多くの従業員や家族の生活を支え、海外の要人とも肩を並べて話すような経営者の視野と思考パターンを自分のものにしなければ何もならない。自分を捨て、その事業家になりきることが重要だと「なりきり会議」をしていたんです。ですから皆さん、徹底的に本を読み、癖から話し方から何から何まで全て自分のものにしようと必死でしたよ。

テンプル ──

毎週そんな宿題が出ていたら、本業をほったらかしにしないと出来ないくらいのスパルタですね。

清水 ──

フラフラになるまで夢中でやっていました。というのは、例えば、3万人の社員がいたら、その3万人の背後には彼らの家族がいる。関連企業も含めると、とんでもない数の人間を支えることになる。それが少しのポカでダメになってしまう。大企業の経営者となれば、海外の国家元首と会うし、その場でジョークの1つも言わなければならない。経営トップの器以上に会社は大きくならないから、企業のトップは、それなりの器を持たなければならない。だからそこには私心は一切入れられないし、持てない。そんな感じで、毎週、土光さん、松下さんなど、それぞれの創業者になりきってディベートをしていました。

テンプル ──

毎週、本田宗一郎さんの指揮のもと、巨頭会議が行われていたわけですね。そこから何が生まれたんですか?

清水 ──

「一人立つ」という姿勢です。どんなことが起ころうとも企業、社員、家族たちを支える。経営者は社員が1人もいない頃からそんな姿勢でやってきたと。本当の事業家は何が違うか。それは考え方だというんですね。考え方が生き方になり、それが言葉になり、行動になって現れる。そんなことを半年間、毎週やっていました。起業家や政治家を志す人の集まりでしたから、真剣度が高くて面白かったですよ。その時のメンバーは地方議員や市長になったりしています。女房からは「お父さんだけね。ずっと普通の人は」と言われていますが(笑)。