入江富美子氏のタイトル

Interview

テンプル ──

私はふーちゃんが正式に『へそ道®』を始める前にやった『へそ道®』の0期生ですが、あの時は、作家のひすいこたろうさんや七田式幼児教育の七田厚さんなど、蒼々たるメンバーが来られていましたよね。私はふーちゃんが話し出して、ものの10分で、これはすごいワークショップになるからテンプルでも開催させて欲しいとふーちゃんに話すのが待ち遠しくて、1回目の休憩時間まで一人でウズウズしてました(笑)。だから「へそ道®」を知っている期間は人一倍長いんですが、何もしてないと同じところで足踏みすることになるという見本でもありますね、私は(笑)。

へそ道0期生の集合写真

ここであらためて、その3つのミッションが降りてきた2005年の大晦日の出来事を話してもらえますか?

入江 ──

自分を可愛がってくれた大好きな祖母が亡くなって2ヶ月目のことでした。子供が寝静まった大晦日の真夜中に、一人で悲しくて心細くて、しくしく泣いていたんですよね。もう祖母が恋しくて恋しくて。泣いてるうちに、幼い頃を思い出して、自分が小さい子供に戻っていくように感じました。その時、自分でも気づかなかった祖母への恨みつらみが、お腹の底から一気に浮上してきたんです。辛かった、しんどかった、わたしの寂しさをわかってほしかった、誰も分かってくれなかったっていう、恨みの蓋がバーンと開いたんです。祖母に対しても「あのクソばばあ~!」って言う思いが溢れたんです。自分でも驚きました。良い子ちゃんで生きていたので、本音を抑え込んできた自分が崩壊したんです。

悪いことを思っちゃいけない!感謝しなければ、と思って生きてきた私ですが、全然感謝がわからなかったんです。でも、本当の自分の本音と出会った瞬間、お腹の底から地響きが起きました。あれは本当に地響きでした。ゴゴゴゴーと鳴り響きながら「ありがとうー!」という魂の奥底からの感謝が湧き上がってきたんです。あれがへそが開いた瞬間だと後から聞いて納得しました。

テンプル ──

「クソばばあ」って言う思いを認めたら、自分のお腹の底から感謝が湧いてきた。

入江 ──

実は私は、5歳のとき、朝、目が覚めると隣で父が心臓麻痺で亡くなっているという経験をしています。大きなトラウマになっていることも気づきませんでした。その辛さを大好きな祖母だけには分かってほしかったんです。でも、辛い気持ちをわかってくれない祖母に逆恨みしていたんですね。分かってほしいと言う思いばかりが先走って、祖母からの愛情を受け取れず、感謝もできずにいました。なのに、感謝しなければと思っている。感謝がわからないのに、正しく生きようとしていました。

祖母と入江さん

その恨みさえ「クソばばあなんて思ってはだめだ」いう禁止令が、何重にも私の本音を覆い隠し、私の魂の蓋になっていたんです。私は私と繋がれていなかった。

しかし、こんな感情が自分の中にあったんだと受け入れた瞬間に、ブワーって何かが噴火しました。噴火としか言いようがない。あの瞬間、私の外側と宇宙との境目がなくなって、感謝で包まれました。その瞬間に、祖母がどれだけ私を大事にしてくれていたかを理解したんです。本当にごめんなさい、ありがとうが一気にあふれて、泣き崩れました。過去を塗り替えてくれた瞬間でした。それだけではなく、今の自分を全肯定できた時、私に繋がるご先祖さまも全てが肯定された。私に繋がる全てのものすべてが「これでいいんだ」と全肯定に変わっていったんです。

どんなに汚い感情でも「私はこう思っているんだなぁ」とちゃんと受け止めることは本当に大切だと実感しました。 結局、どんな自分でもいいから等身大でいることが一番天と繋がれると思います。あらためて言葉で説明するとそんな感じです。

テンプル ──

周りの人からしたら、ビジネスでも成功して専門学校の講師もして子育て中で、幸せそうに見えていたふーちゃんが実は生きることに苦しんでいた。それはやはり、5歳の時、目が覚めたらお父さんが隣で亡くなっていたという出来事に繋がっている気がします。そのあたりのことを、もう少し詳しく話してもらっていいですか?

入江 ──

生まれた時のことを思うときに、私は「この家族を幸せにするぞ!」と張り切って万能感で生まれてきた感覚があるんですよ。万能感だけじゃなくて、自分は絶対それが出来ると信じていた感覚です。

ところが先程お話した通り、5歳の時のある朝、目が覚めると救急隊員の顔がありました。私の隣で、父が心臓麻痺で亡くなっていました。そして救急隊員の人が「あと5分早かったら」と言ったんです。私が5歳で姉は8歳。下の弟は3歳で一番下の弟は、生まれてまだ15日目でした。前の晩元気だった父が、朝起きたら隣で死んでいたっていう事実は、万能感があっただけに「私が5分早く気づけば、父は死ななかったんだ~」っというマイナスの思い込みに変わってしまったんですね。

父は29歳で母も同い歳。その時、家族全員の人生も大きく変わりました。そして「私が幸せにする」と思ってきた家族や親戚全員が悲しみに暮れた時に、私はたった5歳で、人生に落胆し、大きな挫折をしたんです。

取り返しのつかない失敗をしてしまったと思い込み、 その恐さで、後悔ばかりする子になりました。周りが悲しんだり「お父さんがいないからこうなった」と嘆くたびに、私のせいだ、私のせいだって。それまでは、わがまま放題で万能感に溢れていたのに、気づいたら、私がやりたいことはどうでもいい。みんながどうやったら幸せになれるか、どうやったら前の幸せに戻れるかばかりを考えるようになりました。だんだん、自分が何を感じているのか考えているのか、自分が何をやりたいかさえ分からなくなったんです。

間違ったら人が死ぬ、ということを深いところで思っていたので、間違うことが怖くてしかたないんです。自分の感じることさえ、正しいかどうか教えてほしいくらい自分がわからなくて怖かったんです。どう生きていいかわからない。なのに、そんな自分で生きていくしかない。もういつも疲れていて、自分を無いものにしたいくらいの自己否定でした。

自分を消し去りたいのに生きないといけないから、一所懸命、目標を立ててはそれに向かって挑戦しました。溺れるものはわらをも掴む。必死で目標を掴んでいたんでしょうね。