入江富美子氏のタイトル

Interview

入江 ──

そして、大人になり、子どもの頃の夢だったデザイナーになりました。楽しいはずなのに、いつも自分の心の奥底では「私はダメだ、私はダメだ」って思っていて。私の心の根底には、父を救えなかった、私は間違いを犯すダメな人というのがありますから、好きな仕事ができても「自分はダメだ」になる。そして、お金が私を救ってくれるかもと、独立して満足な収入になっても、自分はダメな人間だというのは変わらなかったんです。

ファッションデザイナー時代の入江さん

人生がうまくいっていても、トラウマがある時や自己否定が強いと、周りの人からの愛を受け取れないんですよ。「トラウマメガネ」をかけているから。どんなに愛されても、どんなに褒められても受け取れない。10あっても1にしか感じられないんです。だから、愛されない、愛されてない、自分のことをちゃんと受けとめられてないと感じてしまう。1人だけ違う宇宙に住んでいるようなもので。周りからは幸せに見えても、自己卑下して、被害者になって不幸の中を生きていたんです。

私の感じているこの虚しさは、キャリアやお金では埋められない。だとしたら本当に好きなことをしたら苦しみから逃れられるかもと、アロマテラピストになりました。アロマのサロンや教室を持つようになって、どんどん拡がって、アロマテラピスト養成の専門学校講師になって充実した日々を過ごしました。新しいことに夢中になっている間は忘れられる。でも根底にある挫折感は無くならない。今度は、結婚して子供ができたら、そんな気持ちは無くなると思っていたのに、子供ができたら、逆に自分の子供時代の気持ちにフラッシュバックしてしまって。誰にも助けを求められないし、分かってもらえない。誰も私の苦しみを分かってくれないと心を閉ざす。ややこしかったんですよね。

二人の子供は重度のアトピーでした。息子はまだおっぱいしか飲めないから私も食事制限をしたんですが、痩せてしまっておっぱいが出ない。息子はお腹を空かせて泣くけれど、出ないんです。母乳しか飲めない息子の横で上のお姉ちゃんは背中が痒くて泣く。もう、辛くて辛くて。そんな時に、主人の会社がうまくいかなくなるし、夫とのコミュニケーションも夫婦仲も悪くて離婚寸前になって。流産もし、大好きだった祖母が死んで、もうどん底でした。もう自分の力ではどうしようもないっていう限界です。

そんなときに、無意識に自分の体が死のうとする動きをしたんですね。でも私の中に、はっきりとそれを止める力がありました。人はこの「止めてくれる力」に気づかないと死ねてしまうのかもしれません。でも、私は私を止めた何かの力をなんとか感じることができた。何かの力が私を鷲掴みにして止めてくれた。その力が私を生きる方に向けてくれました。だから、心の中は真っ暗闇だったけど、すがる思いで、その力を信じて生きようと思いました。これからは、私が生まれてきた意味「これをやりに私は地球に生まれて来た」というミッションを生きようってその時、決めたんです。

今、簡単に言っていますが、死ぬか祈るかしか残されていないくらい限界でした。私には祈ることしか残されていなかったので、本当にすがる思いで、わずかな希望の方を選び続けて今があります。

私の人生は、ミッションを生きると決めてからと決める前とでは明らかに変わりました。今は、トラウマや感情、不安や心の傷とは全く関係ないところで生きています。つまり父の死も含め、それはこの世でだけの体験なんです。へそ=みたまという全く違う視座や視点を得られたんです。そしてみたまは永遠に深められる。

テンプル ──

そういった話を聞くと、なおさら、2005年の大晦日の出来事は人生の大逆転ですよね。

入江 ──

大逆転でした。自分の人生が変わる分かれ道だって分かりました。変わると言っても、今の自分の延長で、5年後、10年後、何かの仕事を達成して成功しているという変わり方じゃなくて、今とは全く違う次元に行くのが分かりました。

あの大晦日の瞬間は時間の観念がおかしかったですね。一瞬と思える短い時間に膨大な情報がある感じで、後から色んなことが紐解けて行く感じです。

あの大晦日の夜に見たこと。もう1つだけ。さらっと言いますが、美しい地球に裂け目というか切れ目があって、その奥にはっきり真っ黒な地球があったんです。同時に存在していて、真っ黒の方に向かうギリギリな感じでした。でも、その美しい方の地球のバランスをとっているのが湧き上がる感謝だったんです。それが3つの光の柱になって、大丈夫な地球のバランスを取っていました。つまり宇宙に感謝の量を増やすことは、感謝というフリーエネルギーを生み出すことなんだと感じました。

そして未来の地球や子ども達のことも思いました。もしかしたら、一見幸せそうに見えても「こうあらねば」「こう思わなければ」って、本当の自分の思いに蓋をしている人や子ども達がいるかもしれないって思ったんです。

そのままだと、宇宙と繋がれないし、湧きあがる感謝もできない。私にも子どもがいますが、今の子ども達は、恵まれているがゆえに「こんなこと思ったらいけない」「そんな贅沢を言ったらダメ」という空気を感じ、ありのままの本音を感じちゃいけないと思って、真実の感謝を知らないまま大人になる子もいるのではないか、と思ったんですね。

私みたいにこんな大人になるまで、しんどい思いをして、しかも本当の感謝を知らないで生きるのはもったいない。幸せな境遇で恵まれている子どもほど、本音を言えないかもしれない。だから、ありのままでいいんだと思え、本当の感謝が湧き上がる映画を作ろう、と思って制作したのが『1/4の奇跡〜本当のことだから〜』という映画です。

映画『1/4の奇跡〜本当のことだから〜』の1シーン。母親と少女が一緒にパソコンに向かっている。

私にとっての映画製作は、もう一度、本当の自分の本音通りに行動し、生きなおすことを選ぶ道でした。もうこれ以上自分を裏切り続けることはしないと誓った。だから、決心して、ふと思うことを選び続けてきたら、人生がすごく変わったんです。

テンプル ──

ふーちゃんが、何故そんなに極限まで苦しんだのか。同じ家に住んでいた8歳のお姉さんには何故そこまで重石にならなかったのか。姉妹で同じ状況を体験して、その後の反応が違った理由はなんなんだろうと、以前考えたことがあります。潜在意識の研究によると、胎児期から7歳までに潜在意識に擦り込まれたことは、8歳以降の思考の95%を動かすプログラミングになるそうなんです。

しかも、睡眠前後は脳波がシータ波になっているので、さらに強烈に擦り込まれてしまう。願望実現のために受験生や大人達は、睡眠に入る直前、潜在意識に叶えたい夢を擦り込んでいきますよね。ふーちゃんの場合は、悲しいことに「自分は間違ったダメな人間なんだ」ということを、起き抜けのシータの脳波状態の時に強烈に擦り込んでしまった。その後、何をやっても、ダメだ、ダメだと思ってしまったのは、意識下でいつもそのプログラミングが強烈に稼働していたからだと推測できます。

そして、激しいトラウマ体験があった方は、ちょっとした日常会話や誰かの何気ない言葉で、そのトラウマを受けた時の身体のストレス反応を再現してしまうそうなんです。5歳のふーちゃんは、お父さんが隣で死んでて「あと5分早かったら」という言葉を聞いた時、大きな衝撃と悲しみ、後悔とともに、心臓がドキドキしたり、血管が収縮したり、みぞおちがキュっとなったり様々な身体の反応があったと思います。そのストレス反応をちょっとしたことで身体が再現してしまう。なので、ふーちゃんが、身体が弱かったと言っても全然不思議じゃないんです。すぐにストレス状態になってしまうわけですから。

でも、もっと大きな高い視点で俯瞰してみると、そんな悲しい体験を5歳の時にしたからこそ、生きる意味を求めたし、いま、世界中の人にみたまで生きる素晴らしさを伝えられている。これが神様の計画だったとしたら壮大だし、神様は、それだけふーちゃんを愛し、信頼されていたんだろうなぁと思ったりします。

・・・と偉そうに言っていますが、これは全部本の受け売りです(笑)。