山本 忍 氏のタイトル

Interview

山本 ──

日本ホリスティック医学協会立ち上げの頃、『ホリスティック医学入門』という本の共同執筆を始めたのですが(刊行は1989年)、私が担当したのは、「ホリスティック・スペース・プロジェクト」という部分でした。その構想内容は、「都会の真ん中でホリスティックな医療の情報発信する場を、都会から少し離れた郊外に学びの場を、そして自然溢れる山奥に癒しの場をつくる」というものでした。でも当時はその構想をすぐに具現化していくような経済的基盤もなく、いつか実現したいという半ば夢物語のように時は過ぎて行きました。それが8年後の1995年にいっぺんに実現したんです。

新潟県に三川村(現在の阿賀町)という白鳥の飛来する自然豊かな村があるのですが、当時無医村になっていたんです。そこに、地元の篤志家が、主にリウマチやアトピーを対象にした特徴的な医療施設を建設されて、そこの副院長に招かれたんですよ。これで「山奥に施設を作りたい」という自分たちの夢が一つ叶う瞬間がやってきたなと。そして、その半年後に今度はこの横浜にある神之木クリニックを授かりました。

テンプル ──

お~! まさに以前本に書かれたという、「都会から少し離れた郊外」にある「ホリスティックなスペース」ですね。

山本 ──

中心になったのは、鍼灸師の石川家明先生と、建築家の尾竹一男さんの2人で「福祉マンション研究会」のもとに有志の方々が多く集まりました。マンションは8階建てで、その4階にクリニックと鍼灸院を併設しようということになって、クリニックに常駐してくださる医師も同時に探していました。

でも、結局なぜか誰も手を上げないまま時は過ぎていき、これはもう私がやるしかないなと覚悟を決めるような流れになっていったんです。またその時期に起きた、運命を感じるようないくつかのドラマも、私が神之木クリニックを開業することに対して背中を押してくれたような気がします。

テンプル ──

どんなドラマがあったんでしょうか。

山本 ──

まず一つ目からお話します。私が大学病院をやめて開業すると決めたのが1995年のことでしたが、その年は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起き、またちょうど戦後50周年を迎えるという、日本にとって大きな節目にあたるような年でした。そんななか、私はある社会教育団体の研修会に参加して、「どうしたら戦争をやめられるのか」というテーマについて参加者の方々と皆で真剣に討論を交わしたことがありました。そこでの私自身の気付きは、「身近な争いやわずかな言葉の行き違いが引き金となり、それが拡大して戦争へと発展してしまうのではないか。もしそうであるなら、まずは身近な争いをなくしていくことが先決だろう」ということ。するとそんな気付きがあった矢先に、まさに私にとって格好の喧嘩相手が目の前に現れたのです。

テンプル ──

山本先生が喧嘩を?

山本 ──

当時、本格的に始動したばかりの「日本ホリスティック医学協会」の事務局長をやっていた時のことでした。同じ医療業界に籍を置くある方、仮にAさんとしておきますが、突然彼から「お前みたいに無能な人間が事務局長なんかやっていたら協会がつぶれてしまう。すぐに辞めろ」という脅迫的な文章が、夜中の3時にFAXで送られてくるようになったんです。毎晩毎晩、延々と続く嫌がらせに、だんだん生きた心地がしなくなりまして。恐怖と疲れで精神的にも参っていたのでしょう。私はAさんを激しく憎むようになり、「殺したい」とさえ思うようになっていったんですね。

テンプル ──

山本先生は差出人が誰なのか分かっていらしたんですね。

山本 ──

はい、分かっていました。ですから今まで送られてきた証拠の文書とともに、Aさんを警察に突き出すのは簡単なことでした。でも、今までの経緯を思い返しながら自分の心の内を観察してみたところ、様々な気付きが湧き上がってきたのです。

人間というのは、恨み辛みを抱えた結果、相手を殺したいという気持ちにまで思い至ることがあるものなんだ。今回の出来事は私にとって、そういう人間の醜い感情をリアルに味わうという、一つの貴重な経験だったのではないか。だとしたら、この殺したいという気持ちを感謝に変えてみたらどうだろう?……という具合にです。そんな気付きを得た私は、すぐさま心を込めてその『Aさんの美点50箇条』を書き連ね、彼にFAXしてみたんです。

テンプル ──

それはすごい! Aさんは想定外の事態にさぞかし驚かれたことでしょうね。

山本 ──

ええ、そうでしょうね。そして私にも驚くようなことが起こったんです。というのはその翌日に、今度は何とAさんから『山本忍氏の美点50箇条』という文書が送られてきたんですよ。そして、その日を境にFAX攻撃がぴたりと治まったんです。

テンプル ──

すご~い! 売られた喧嘩に対して愛を返された山本先生の勝利ですね(拍手)。まあ勝ち負けの話ではないですけれど(笑)。

山本 ──

そうですね(笑)。それでさらに不思議だったのが、ちょうどその数日後に神之木クリニックの院長にならないかというオファーをいただいたことでした。問題が解決した直後のタイミングだったこともあり、まさに思いがけないご褒美をもらったような気がしましたね。そう考えると今回の一連の出来事は、神之木クリニックに行く前に「自分の中にある不要なものを綺麗に浄化することができるかどうか?」という、天からのお試しだったのではないかと。自分の中で全てが腑に落ちたんです。

テンプル ──

なるほど。もし全てが天から与えられたお試しのドラマだったとすれば、そのAさんは山本先生にとっての菩薩様だったともいえますね。

山本 ──

悪役を買って出てくれた、いわば私の分身でもあったのかもしれません。FAX事件が終わってからほどなくして、2人で腹を割って話す機会を得たんです。その時に、Aさんが私に嫌がらせを始めるようになった理由を聞いてみたんですね。するとAさんは、私が何気なく発した言葉に引っかかったことがきっかけだったと。つまり、もとはといえば私の方に原因があったんです。私はそんな簡単なことにも気付かずに、人を殺したいとさえ思ってしまったということに我ながら心底驚きました、

テンプル ──

先にお話しいただいた研修会の「いかにして戦争をなくしていくか」というテーマについて、身をもって理解されたということですね。愛をもって解決を図られた山本先生は、世界の平和に少し貢献されたのかもしれません。