白鳥 哲さんのタイトル

第22回
白鳥 哲 氏

しらとり てつ

映画監督・俳優・声優

長年文学座の俳優として様々なテレビ、舞台、映画、声優として活動した後、アニメの声優の仕事をしながら映画監督として活躍する。劇場公開作品として、映画『ストーンエイジ』《2006年》、映画『魂の教育』《2008年》、映画『不食の時代』《2010年》、映画『祈り~サムシンググレートとの対話~』《2012 年》、映画『蘇生』《2015年》がある。映画『祈り』は、ニューヨークマンハッタン国際映画祭グランプリなど数々の国際映画祭で賞を受賞し3年3か月の国内歴代一位のロングランを達成。

主な出演作品はアニメ「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」「宇宙戦隊キューレンジャー」 劇場用アニメ「ひるね姫~知らない私の物語~」 マイケル・ジャクソンの声などを担当。

主な著書に「エドガー・ケイシーの超リーディング」「地球蘇生プロジェクト「愛と微生物」のすべて」「プレアデス・メシアメジャーとエドガー・ケイシーの未来リーディング」(ヒカルランド)、「ギフト」(エコー出版)「世界は祈りでひとつになる」(VOICE)などがある。 シネマ夢クラブ推薦委員、一般社団法人9千年続く平成のいのちの森プロジェクト理事、エイベックス専任講師、地球蘇生プロジェクト代表、 株式会社OFFICE TETSU SHIRATORI 代表取締役社長

 http://officetetsushiratori.com

Interview

テンプル ──

白鳥監督は、もともとは文学座を出た役者さんで今も俳優、声優としてご活躍されていると伺っています。今は映画監督としての役割が大きくなられていると思いますが、映画に出演する側から製作する側になった経緯、劇場公開の映画を作る決意をされた理由を教えていただけますか?

白鳥 ──

それをお話しすると、随分長い歴史になります。小学校2年の時に『スターウォーズ』を観たんですが、完全に打ちのめされてしまいました。自分もこういう世界を作りたい、自分が思い描く世界を表現したいと思いました。その時から2年間、本当に節約してお小遣いをコツコツ貯めて8ミリカメラを買いました。その8ミリを使って初めて撮った映画が『七人の忍者』。小学校4年生のときです。

テンプル ──

『七人の侍』ならぬ『七人の忍者』!

白鳥 ──

そうです。パクリなんですけど、忍者を7人集めて世界を救うという話でした。映画を作るだけではなくて、演じるのも好きだったので、キーマンとなる老人の役も自分で演じたのが1作目の映画です。

テンプル ──

すでに小学生の頃から、脚本兼出演者兼監督をされていたんですね。

白鳥 ──

そうなんです。映画は撮るのも好きでしたけど、その映画を上映して、人と共有、共鳴できるのも好きでした。自作映画をビルの壁に投射して、みんなに見てもらったその時間が感動的で、とても良い思い出になっています。

後に『ニューシネマパラダイス』という映画に同じようなシーンがあって、自分と同じだなあと思って・・・。作ったものを人と共有して感動も共にしたいということがずっと心にありました。

テンプル ──

ということは、俳優さんが監督になったのではなく、元々監督だった人が俳優となり、また監督に戻った感じなんですね。

白鳥 ──

中学のとき、父に「将来は映画監督になりたい」と言ったことがあります。でも即座に「お金にならないからやめなさい」と言われ、それからは家族に隠れて映画を撮るようになりました。

当時は脚本も書いて、全役を自分で演じるので、カメラの前で演じてまたカメラを動かしてまた演じて…というふうに映画を作ってました。後に『オースティンパワーズ』という映画を見た時に、あー同じことをやっている!と。

そうやって子どもの頃から映画を作りながらも、自分自身はとても内気な人間で、人前で喋ることはできませんでした。対人恐怖症とまではいきませんが、人と喋るのはとても苦手でした。

そこで演劇界の東大と言われている文学座を目指しました。ドラマスクールでは、君は文学座にはとても受からないよ、と言われていたんですけども、運よく受かりまして…。同時期には寺島しのぶさんや内野聖陽さんがいらっしゃいます。

文学座には杉村春子さんという大女優がいらっしゃいました。「1つのセリフも千回言いなさい。『はい』だけのセリフでも、様々な状況や心情がある。『はい』であってもひたすら千回言いなさい」と教わりました。そんな訓練をしていきました。

文学座で俳優修行しながらも監督になりたいと思っていました。なので、現場で知り合ったスタッフさんに声をかけて映画を撮り始めました。最初は自己資金で自主映画を作り、それが思いがけず映画賞をもらいました。

その自主映画を上映して、少しお金が入ったので次の映画を撮って、また上映して・・・という形で制作していきました。その頃から、そろそろ劇場用映画を作りたいと思ってました。と言っても、その10年も前から映画の企画は、自分の心の中に溜めていたんですね。それが1作目の『ストーンエイジ』という映画になりました。

テンプル ──

ストーンエイジは石器時代という意味ですが、石がテーマの映画ですか?

白鳥 ──

私は文学座の頃から舩井幸雄先生の本が好きで、よく読んでいました。舩井先生の本に、宮古島に不思議な石の庭があると書かれていました。その石はエゴが強い人が行くと怪我をする。でも心のピュアな人が行くとメッセージを受ける。そういう石だということでした。いつか宮古島に行ってその石に会ってみたいなと思っていました。2003年に宮古島にいよいよ行くことになったんですけども、舩井先生の本には場所が書かれておらず・・・。

テンプル ──

アポなしで行ったんですか?

白鳥 ──

アポなしです。宮古島も広く、どうしようかと、たまたま立ち寄ったカフェで その石の庭について聞いてみました。そしたら隣ですよと。隣といっても宮古島の隣は遠くて、結構歩きましたけども(笑)。でも、そこは個人の庭なのでちょっと分からなかったんです。すると畑からかくしゃくとした老人が現れました。この方かなと「新城定吉さんでしょうか? お庭を見せて頂きたいんですけども」と伝えたら「まず裸足になりなさい」と。「石たちに対して心を清められたら入って良い」と言われました。それで裸足になって庭に入りました。

新城さんの庭の石は、新城さんがテコの原理で自分で堀り出した石なんですけども、4000個ぐらいありました。でも裸足で歩くにはとても危ない庭だったんです。石に心を合わせて歩かないと怪我をするんですよ。そうやって歩くうちに石に気持ちがあってきたんでしょうね。ちょうど庭の真ん中あたりの石を見てたら、映像がボワーっと視えてきました。それは津波で人類が滅びてしまう映像で、『同じ過ちを繰り返していいのか』と問われる内容でした。その視えたものをワーっと書きなぐった原作が『ストーンエイジ』という映画になりました。

石から聞いた言葉をもとに作る映画ですから、ぜひその庭で撮らせてもらいたいと思いました。そこでまず、舩井先生にお手紙を書きました。そしたら数日後に先生から直接電話があり「今、新城さんに電話をしておきました。監督が作りたいように撮影してくださいと言われていました」と伝えて下さり、舩井先生に後押しをもらったように思いました。