白鳥 哲さんのタイトル

Interview

白鳥 ──

そのビジョンを映像化するために、映画を作っています。短編映画19作品も含め、今作まででほぼ網羅してきました。映像でビジョンを伝える。それを旗印に行動していく。

テンプル ──

映画制作は2年、3年とかかりますよね。思いは大きくても現実の問題は日々起こってきますよね。日々起こる難関をどうくぐり抜けて来られたんですか?

白鳥 ──

『リーディング』の映画でも、こんなにお金が出ていっちゃうんだ~と、今、途方に暮れてます。でも、そこで工夫しながら信頼しきる。全宇宙に信頼を寄せる。あと、大調和を目指すと必ず巡ってくる。それは、これまでの活動で確信になっています。例えば『リーディング』の映画も、3年前は資金はほとんどゼロでした。よく言われました。何故、今更エドガー・ケイシーなんだと。「そんな外れた予言者の映画をなぜ今更作るんだ」と10年前も3年前にも言われました。

テンプル ──

1998年を過ぎたけど、日本はまだあるじゃないか、というわけですね。

白鳥 ──

そうです。なぜ今更ケイシーなんだと、そんな雰囲気でした。そんな中、資金を集めるのは本当に大変で・・・。でも、自分がケイシーの学びや体験を深めていくと、これは人類の叡智だ。こんな大切なことを知らせないなんて、大調和からすると、映画を作る方が豊かな世界になっていくという確信がどんどん深まっていったんです。

となると、この映画は作るべき映画だし、天の采配のもとに起きている。大変だけど大丈夫だろうと、どこかでそれを信じられるんですね。緊急事態は起きました。例えば、アメリカに取材に行った後は、翻訳の資金が残っていませんでした。アメリカに撮影に行くことしか考えていませんでしたから。

ケイシーの故郷で撮影中の白鳥監督

帰国後、翻訳の見積もりが600万円ほど来ました。まだ何も編集してないのに翻訳すらできていない。そしたら基金パーティーを各地でして下さり、それでなんとか翻訳が半分ぐらい済みました。そしたら大阪や名古屋でも基金パーティーをしていただき、翻訳を終えることができました。

国内の撮影も済み、ここで編集が始められるかなと思った時に、やはりケイシーの人生を撮影したい。これを抜きにはこの映画は成り立たないと思いました。でも、ドラマ部分は費用がかかり、見積もりが届いたらあっと驚く金額が来たわけです。そこで、自分の経験が足りてないところ、自分の中で満たされてない何かを探しました。

最後は、ホントに数週間でした。ある個人の方が多額の資金を提供して下さり、私はその見返りを求めない姿に打たれ、それなら私も見返りを求めず、この映画に捧げ尽くさないといけない。私の心根の中に少しでもエゴ混じりのものがあったら、その思いは焼きつくさなければいけない。その方の恩送りの姿勢を通して私は「人類に捧げ尽くそう」。そんな思いを新たにしました。ケイシーの映画は、まさしく100%の恩送り、与えることで成り立った映画です。

テンプル ──

私たちも、監督の映画を通して社会貢献できる。監督のような行動力はないけれど、監督を通じて、地球を救うお手伝いができるのではないか。そのチャンスを与えてもらっているのかもしれません。

白鳥 ──

2017年の4月の中旬は、映画製作の期日が迫っているなか資金が足りなくなり、最終的には自己資金を投入して制作を続けようと決意していました。そしたら、5月の連休をはさんで急激に寄付をくださる方が増え、また個人で本当に多額の資金提供をして下さる篤志の方が現れ、何か天の動きがあったに違いないと感じています。

そういう方々を通して私は学ばせていただきました。それはケイシーリーディングの本質をついているんです。この『リーディング』を構想し始めたのは約10年です。本格的な制作は3年前からですが、リーディングの本質は、捧げ、与えるということです。『祝福の水路』となっていくことを率先してみせていく、させてもらう。そのリーディングの本質を、あなたも実践出来ますか、ということを、私は突きつけられました。そういう風に、その行為を受け止めました。

自分はまだまだ人に認めて欲しい、心の中にそんな要素があった。その気持ちを捨てられるようになりたいと思いました。

ケイシーを演じるセイン・カミュ氏

テンプル ──

魂の研磨がすごいですね

白鳥 ──

まさしく魂の研磨です。 私は最初、リーディングに書かれてる健康法、洗腸や食事療法などを 実践しながら、自分の身体が変わっていくのを体験しました。でもリーディングの本質は、魂の気づきなんです。この視点は、映画を作ることによって不動のものとなりました。この映画は魂の視点となっています。今の生き方が、将来の自分の魂にとって磨かれている生き方なのか、ということです。

テンプル ──

来世も過去生も含めた魂の流れの中での今の自分の在り方ってことですね。

白鳥 ──

この魂の視点で生きようと思えたのが、この映画を撮らせてもらった一番の学びです。

今、世の中で色々な事件が起きていますよね。日本国内では昨年、9人の方が殺された事件もありました。普通に考えたら、許せない事件です。一方で、死にたいと思っている人もたくさんいる。そういう方々のエネルギーが引き寄せられてしまう。生きてることは意味がない。人の命も意味がない。そうさせてしまったのが唯物的価値観の洗脳です。これが、魂の視点を奪ってしまっている。魂から離れさせ、神を忘れたというのは、まさしくそういうことだと思います。私たちは物質的価値観に取り込まれてしまっている。それが人類の大きな問題の根源だと思います。それにだんだん気づいていきますよね。命は脈々と続いているし、肉体が死んでも、ちゃんと魂は残っている。生まれる前から私たちは生きていたし、そんな生き方をすると、あなたが後で苦しむんだよ、魂を磨いたほうがよっぽど自分のためになる。他者のために尽くすことの方が、よっぽど自分のためになる。

自分を傷つけることなくして人を傷つけることはできない。他者を傷つけ、他者を殺めることは、自分を傷つけ、自分を殺めること。そんな魂の視点が鮮明になってくるはずです。人や他の生き物を殺してしまうのは、やはり魂の視点が欠如している。そのことを私はリーディングを通して学び、それを伝える時代が来たし、伝えるだけの材料が集まってきています。ケイシーのリーディングの本当の意味が、今だからこそ結びついてきています。それをすごく実感しています。

10年前の企画は私には早かったと思います。ケイシーのリーディングを予言的な側面でしか見ていなかった20年前は、さらに本質を伝える時期ではなかったと思います。