尾竹 一男さんのタイトル

第29回
尾竹 一男 氏

おたけ かずお

1951年 横浜生まれ、神奈川大学工学部建築学科卒業。 

1981年 尾竹一男建築研究所 設立。各種建築設計、プランニングの経歴を積むも30 代半端に臨死体験を経験し、弱者に対する建築に取り組む様になる。高齢者、化学物質過敏症とつづき、今は子供に対峙している。東北大震災を宮城で被災し、その後、横浜の神之木クリニック院長、山本忍医師と福島に拠点を置く「NPO法人マグノリアの灯」に副理事長として参画する。

尾竹一男建築研究
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Interview

テンプル ──

まず、尾竹先生が化学物質過敏症の患者さんの自宅建築に関わるようになった経緯をお聞かせいただけますか。

尾竹 ──

大元からお話しします。今までに3回程、死にかけています。30代半ばに過労で死にかけた、その頃まで遡ります。臨死体験もしました。

テンプル ──

臨死体験もされていらっしゃるんですか。本筋とは関係ありませんが、どんな体験だったんですか?

尾竹 ──

日曜日に打ち合わせが入っていたんですが、どうも胃が苦しい。背中が痛くなったので、女房に痛み止めを買ってくるよう伝えました。そのうち、苦しんで横たわっている自分の身体を上から眺めていました。女房が「死なないで」と僕にすがっているのを見て「可哀想だなぁ」と思ったら、身体に意識が戻っていました。1週間程、病院でチューブだらけで昏睡状態に陥っていました。 

そんなことがあり、建築の仕事を辞めることにしました。当時やっていた仕事は、いわゆる金儲け主義の仕事だった。当時も、無垢の木を使った自然派と呼ばれる家を造っており、自然派建築でもそれなりの仕事をしていたと自負していました。でも、それを辞めようと。それで知り合いのお坊さんがいた高野山のお寺に行き「建築家を辞めようと思う」と相談したんです。少しは引き止めてくれるかなと半分期待していたんですが、そこのお坊さんに「お前みたいな建築家がこの世から1人消えても宇宙は変わらない。カッカッカ!」と笑われて…(笑)。それで、寺の小坊主みたいな下働きをしながら、半年ほど厄介になっていました。 

半年くらい経った頃に、横浜市の議員さんから「高齢者住宅を作りたい。その政策づくりに関わってもらえないか」という依頼が来ました。お坊さんに相談したら「それは福祉の仕事で人助けにもなる。建築の仕事じゃないから手伝ってあげたら?」と。 

設計事務所を閉める時、10人ほどスタッフがいたので、退職金を出して辞めてもらっていたんです。それが戻ってみたら、ずっと辞めずに事務所に残ってくれていました。「一緒に仕事がしたいから」と。それで横浜市が作ろうとしていた高齢者住宅のシニア・リブインという仕組みと、今、山本忍先生がクリニックをされている横浜の高齢者住宅つきのビルに関わることになりました。

 それが再スタート。それからは一切、お金儲けに繋がるような仕事が出来なくなりました(笑)。依頼が来ても、途中で話しが消えるかボツになる(笑)。10年ほど高齢者福祉に関わって、バリアフリーという言葉も一般化してきたので「もう、そろそろ頃合いかな」と思っていたら、化学物質過敏症の方からの依頼が来ました。

テンプル ──

スタッフが10名もいるような設計事務所の経営者から、高野山の小坊主、そして高齢者住宅の立ち上げと、ずいぶん幅のある設計士人生ですねぇ。

尾竹 ──

化学物質過敏症の住宅に関わるようになったのは、 ある患者のお母さんからの依頼でした。家に住めなくなった娘がいるので相談に乗って欲しいと。それまでも何件か同様の相談は受けたことがありましたが、話しだけで終わっていたんです。 

ちょうど同じ頃、北海道の旭川市を中心とした2市8町では「健康の里 大雪」というプランが進行していました。そこを化学物質過敏症の患者さんに使えたらという話しが来ました。当時、化学物質過敏症の診断ができる病院は北里大学しかありませんでしたが、その北里大学や東大、横浜国大の先生方、そして、我々で作っていた「化学物質過敏症支援センター」というNPOに旭川市からの協力要請がタイミングよくきたわけです。 

そして、過敏症の患者さんが転地療養で良くなるかを検証したいという要望が北里大学からあり、旭川市の空気の良い所で住宅を作りました。患者さんに2~3カ月、実験的に住んでもらったんです。僕達と旭川市、北里大学、旭川医大の共同実験でしたが、患者さんの症状が良くなったんですね。それならばと、旭川市に集まったメンバーで臨床環境医学学会という学会を作りました。

 それまでは、自律神経失調症や更年期障害、精神病など、別の病気として扱われて化学物質過敏症という病名がつかない。 化学物質過敏症という診断をしてもらえない。さらに病院からもらった薬を飲むとかえって悪化してしまう。それで、僕たちが政治的な動きをしました。保険適用ができないか、普通の日常生活が全く送れなくなるので障害者認定ができないか…。そういった活動も始めました。

 シックハウスという言葉は僕たちが作ったんですが、化学物質過敏症とシックハウスは根本的に違います。同じものもありますが、シックハウスというのは家そのものが病んでいます。カビやダニ、ホルムアルデヒドなどの化学物質、アレルギー物質などが包括されてシックハウスとなります。一方、化学物質過敏症は家が引き金となる事が多いですが、家とは関係なくても発症します。