白木原 雪乃さんのタイトル

第27回
白木原 雪乃 氏

しらきはら ゆきの

高校時代に登校拒否をしていた経験から、自分の道を見つけられない人の手助けをしたいとセラピストの道へ。

1990年代から代替療法に携わり、20年に渡ってセラピストとして活躍する。これまで学んだ20種類のセラピーや代替療法のほとんどでインストラクターとなっており、その豊富な知識と経験を独自に組み合わせたセッションは、人間関係や人生の指針に悩むクライアントから、「悩みから抜け出す手掛かりとなる」と定評がある。

ピースリンクカンパニー代表 http://www.peacelink.info

Interview

テンプル ──

今日は、私の古くからの友人で、キネシオロジー(筋肉反射テスト)を使った様々な代替療法のインストラクターやセッションをしている白木原雪乃さんにお話を伺います。私自身も雪乃さんのセッションを受けたり、タロットカードをひきながら相談にのってもらったりと、個人的にお世話になっています。雪乃さんのキネシオロジーは肌に触っているか触ってないかの繊細なタッチで、人だけではなく動物や故人のセッションも可能。通常は、セッションの後半で本人が抱えている問題解消のための「調整法」をキネシオロジーで確認。心と身体と魂を調整して終わるんですが、その調整法が雪乃さん自身も開けたことがない未使用のオラクルカードの1枚を読むであったり、かつて1度も使ったことがないレアなホメオパシーを飲むという指示だったりと、予想外の内容で毎回びっくりしています。

私もセラピストになった後の雪乃さんしか知りませんので、そもそもどうしてセラピストになったのか、キネシオロジーと出会ったのか、そんなことからお話いただけますか?

白木原 ──

はい。セラピストになる前は様々なことに興味があり、高校の時は、心理学を学びたいなと漠然と思っていました。高校入学直後に喘息で1週間ほど休んで登校したら、すでにクラスにはいくつか女子グループが出来てその中に入ることができない。友だちがいないので学校は面白くない。身体が弱かったので学校は休みがち。このままでは出席日数不足で留年というところまで行きました。 生きる意味を知りたくて、そんなことを悩む私はもしかしたら心の病かもと精神科に連れていって欲しいと親に頼んだこともあります。

高校卒業後は英語が話せる旅行ガイドになりたいと、英語を学びにアメリカの短大に留学をしました 。でも方向音痴の自分には旅行ガイドは無理ということであっさり方向転換。ビジネスを専攻して帰国後は貿易会社に就職。その後、バブル真っ盛りの証券会社に転職しました。ですが、ボーナスや給料が良いと聞かされて営業部に配属になったとたん、バブル崩壊(笑)。前年度10か月分あった冬のボーナスは1か月分もなく、 シャネルやエルメスをプレゼントしてくれることで社員に有名だった気前のよいオジサマはバブル崩壊後に怖いオジサンに変身しました(笑)。

テンプル ──

美味しい思いを一度もすることなく、一番ハードな時期に証券会社に勤務とは。よく続きましたね~。高校時代は身体が弱くて休みがちだったのに、根性ありますよね。

白木原 ──

社会に出てからは、朝早くから夜遅くまで気合いで働いていました。それでも、毎日お客様から怒鳴られ続け、謝り続ける日々が続き、ストレスはかなり溜まりましたね。でも今思えば、人の心の裏表、特に、お金で人の心がこんなに変わるんだ、ということを知るいい経験になったと思います。例えば、表向きは仲のいいご夫婦でも、ご主人、奥さんが別々に隠し財産を持っていて絶対に相手に分からないようにしているとか、裕福なご家庭だったのに、離婚の際、相手には1円たりとも渡したくないと頑張っているとか…。お金って人を幸せにしないんだな、お金がたくさんあっても幸せにはなれないんだなということを実感しました。

証券会社のあとは輸入家具会社に転職したんですが、証券会社勤務で精神的にボロボロになっていたこともあり、OLをしながら、夜は色んなセラピーを受けたり、自分でも様々なセラピーを学び始めました。アロマ、フラワーエッセンス、リフレクソロジー、ヒプノセラピーと次々に学んでいき、ホメオパシーからキネシオロジーに行きついたわけです。