胎内内観には素晴らしいエピソードがたくさんありますよね。私は以前、胎内内観ではなく、7日間の内観の方に参加させていただきましたが、7日間かけて魂レベルで両親を看取った感じがしました。最初は柴田さんから誰もが3日目あたりから号泣すると聞いても自分は泣かないだろうな、関係ないと思っていたのですが、とんでもない。参加してみたら初日、それも10分もしないうちから脱水するのではないかというくらいに大泣きするという事態に(笑)。7日間ずっと父と母をテーマに内観し続けたのですが、私に振り分けられた日程は、母親は5日半で父はわずか1日半。私は父親と割と仲が良かったので、記憶も思い出もたくさんあるんですが、母親の日数に比べると父親のこの扱い。父親とは、子どもにとってなんとかわいそうな存在なのかと切ない気持ちになったことを覚えています(笑)。
そうでしたね(笑)。でも菜央子さんに限らず、他の方の場合にも父をテーマにする時間はとても短いの。何故かというと、私が考える“へその緒理論”に基づいているから。要は、へその緒で繋がれていた母との関係が花丸にならないと、他者との関係も花丸になりえない、というのが私の持論なんです。10月10日の間に私たちが育まれるあの胎内はまさに慈愛の世界であり、それをとことん皆さんに体感してほしいというのが、とにかく母という存在にこだわっている理由。
それに、ご飯を作ってくれて、おっぱいを飲ませてくれ、オムツを替えてくれるetc.……。子供の頃はやっぱり一般的に、お父さんよりお母さんから面倒を見てもらう比率のほうが高いでしょう。そういう母の無償の愛に気付くことによって、自分の内なる愛を揺り起こしていくというのが内観の最大のテーマなので。
そういうことなんですね。ところで、柴田さんがこの世界に入るきっかけになったことの1つが、ある夜に聴こえた“声”だったそうですね。
はい。これは何冊かの著書にも書いていますが、当時の夫と九州へ移り住んでレストランを開いていた頃の話です。開店をしたものの売り上げが伸びず、その夜も赤字の帳簿をつけながらそろそろ休もうと思ってベッドに横になり、ウトウトしかけたその時。『愛こそが生きる意味だ!』という男性とも女性ともつかないような声が突然聴こえてきたのです。同時に足元には白い光もサーッと降りてきまして。ちょうど夫は入院していて家には私一人きり。ですから声の主が誰なのかは分からないながらも、これがいわゆる天の声というものかと思いました。『そうか。私は人生を間違えていた。もうお金のために働くのはやめよう』とすっと腑に落ちたのです。
それで翌日には経営していたレストランをクローズ。その後、幼い頃に看取った父の幸せな最期を思い起こし、その最期を迎えている方々を支えたいと願って特別養護老人ホームで働き始めるようになりました。後になって、その声のメッセージはマザーテレサが聴いた言葉と同じだということを知り、不思議な気持ちになったものです。
レストランを営んでいらしたことがあったんですね。でもメッセージを受けた翌日に、さっそくお店をたたむというその潔さはすごい。意外だったのは、かつてマクドナルドで社員としてバリバリ働いていた時代もあったということ。そこから看取り士の道に進むという、いわばリアリティからスピリチュアリティの世界への振れ幅の大きさもすごいです(笑)。
ええ(笑)。でも最初、私はどちらかというとスピリチュアルな世界が嫌いだったんです。というのも代々出雲大社の氏子である家に生まれた私は、幼い頃から家族に『将来は大社の巫女になるように』と言われていて、いわゆるうち流の巫女教育を父と祖父から受けて育ってきたんです。それで幼稚園にも保育園にも入らなかったため遊び相手がいなかった私は、いつも野の花や蝶々なんかと戯れていましてね。いつしか自然に見えない世界と交流するようになっていました。
それが高じて、たとえば親戚の叔母が来ると、『おばちゃん、そのうちこういう風になるよ』とか『おばちゃんのそばに○○さんがいるよ』とか平気で言うようになってしまって。それを大人が面白がって、私のところに物やお駄賃を持って聞きに来るようになりました。そういう状況がどんどんエスカレートしていったある日、このままこういうことを続けていたらいけないとふと気付いて、それからというものすっかり無口に。学校にも当然のごとく全く馴染めないという時期が続きました。そういう偏り過ぎた世界にいたので、今度はまた真逆の世界にいったんですね。今振り返るとバランスを取っていたのかなあと思います。
今は一輪車にうまく乗れる中庸のところにいるんですね。
そうかもしれない、この年齢でやっと(笑)。
柴田さんは以前『私の人生はこれからで、まだ序章だ』と仰っていましたが、いよいよこれから柴田さんにとっての本番が始まるんでしょうか。どんな活動をしていかれるのでしょうか?
いま日本は2025年という大きな節目を目前にしています。どういうことかというと、2025年に約800万人の団塊世代がいわゆる後期高齢者の仲間入りをしますが、その中に47万人の死に場所難民がいると厚生労働省が発表しました。つまり、これから高齢化社会と孤独死の時代が到来するということ。そんな状況で、もし膨大な数の命が、たとえば孤独死でそのまま失われるだけだとしたら、人類にとって大きなマイナスじゃないですか。
そうではなく、そのエネルギーをいただいて、人類の進化に繋げていかないといけないんです。それには、これまで一般にマイナスだと思われていた死のイメージをプラスに転換していく必要があり、それをするのが私の役割だと思っています。だから、これまで私が抱きしめて見送ってきた体験や知識を皆さんにお伝えしながら、死の意識改革をしていくことが今後の大きな課題。そしていざ問題の時期に差し掛かったら、看取り士さん達と一緒に死に場所難民と言われる方をどこまで救済していけるか。また、いかになるべく多くの方のお力をお借りしながら進めて行けるか。それが、これからの私の10年という総仕上げの時期にかかっていると思っています。
壮大な目標ですね。でもこれから高齢化社会になり、死に場所難民が増えるとなると、誰にとっても他人事ではない問題になるといえそうです。若い世代が減って老老介護が当たり前の時代になれば、介護はもちろん死ぬのもひと苦労。自宅で家族のみで行う看取りはますます難しくなるでしょうから、看取り士さんの出番はますます増えるいっぽうですよね。