柴田久美子さんのタイトル

Interview

柴田 ──

すでに現時点で、自宅ではなく病院で最期を迎える人が約8割もいるのです。でも本当は、自宅で介護や看取りをすることはそんなに大変なものではないんですよ。私の祖父は、私が中学校3年生の時に96歳で亡くなったんですが、身長が180cmと当時にしては身体が大きくて。そんな祖父の介護を母と私の2人でしていたんです。当時は今のように紙オムツもないしもちろん布団に寝ていましたけど、別に大した問題が起きることはなくて。だから私には介護が大変だというイメージがないの。

ご家族の看取りに関してよく相談を受けるんですが、先日は福岡にお住まいの67歳の方から、『母の余命があと1週間だから、病院を退院して家に帰してあげたい』と連絡を受けましてね。その方はずっと一人で94歳になるお母様の面倒を自宅でみていらっしゃった方で。お母様も頭がしっかりされていて『家に帰りたい』と仰ったんですね。でも相談員さんが、67歳のお嬢さんだけでお母さんを看取るのは無理だろうという判断をしたの。

私は一体何が無理なんだろうって思いましたよ。なぜなら、もうお母様は点滴もしていないし口からも食べないので排泄物もないわけだし。それなのに、専門職の方がいきなり大変ですと仰ると、娘さんもそうなんだと思ってしまうんですね。たまたまそのお嬢さんのご友人と私が友人で、彼女が私に電話をしてくれたので、お母様のご希望通りに家に帰してあげることができたんですけれど。現実にそれから4日で、穏やかに旅立っていかれました。

そういうわけで、介護や看取りが大変だと仰る方には、どうしてそんなに重たく考えてしまうんだろう。何に囚われているんだろうと言いたい。看取りの時もずっとその方の面倒をみている必要はなくて、寝たければ寝ればいいし、その間は放っておけばいいんです。日本人は真面目な国民性だからか、根を詰めて鬱やパニックになってから私どもに電話をかけてくる人がたくさんいらっしゃいます。

でも、そこまで自分を追い込まないでほしい。親だってちっともそんなことを望んでいないんです。 人間は死ぬということを、もっとちゃんと全員が受け入れるべきですね。死なないと思っているから話がどんどん複雑になってくるんです。人間は誰もが100%死ぬんですよ。

テンプル ──

死ぬのは生まれることと一緒で、自然な生の営みということですよね。

柴田 ──

そうです。ですから私は高齢者の方には、歩けなくなったら“這う”ことをお勧めしています。日本では西洋文化の影響で車椅子やベッドを使うようになってしまいましたけれど、もともと人間は生まれてからしばらくの間は這っていたんだから。無理に立ち上がって歩かなくてもいいんですよ。こういうことからも生死が繋がっているというのを実感し、人間というのはすごいなとつくづく思います。

テンプル ──

皆がそうやって生と死を同じようにプラスのこととしてとらえるようになったら、まさに革命だといえますね。死に直面したとき無駄に悲しむ人が減るし。たとえばテレビなどで芸能人の訃報が流れているとき、目にするのが悲痛な面持ちと陰鬱な声で伝えるレポーターの姿。それが死に対するマイナスのイメージに、追い打ちをかけていますよね。

柴田 ──

そうですね。だから意識改革が必要なんです。実は、高齢者の方が孤独死されているのを見つけるのは東京だとヘルパーさんが多いんですよ。そのショックで仕事を辞めてしまうヘルパーさんも多くて・・・。東京でヘルパーさんが人材不足だというのにはそういう理由があり、それも深刻な問題になっているんです。でも、万一ヘルパーさんが玄関に入って亡くなった高齢者の方を発見したとして、プラスの死生観を学んでいれば別に動揺することはない。先にお伝えしたようにその方にちゃんと触れ、逆にエネルギーをいただくという看取りができれば、旅立つ人も見送る人もともに幸せな最期を経験することができるんです。

テンプル ──

なるほど。まずは身の周りにいる人たちから意識改革を図ろうかしら。この人に自分の魂のエネルギーをあげたいと遺言を書いておくことから始めよう。それから逆に、この人の魂のエネルギーが欲しいというのもリストアップしておこうかな。えーと。柴田久美子さん、小林正樹さん、入佐明美さん。一応兄の名前も入れておかなければ・・・(笑)。

柴田 ──

アハハ、そうそう。物ではなくて魂の遺産相続ね(笑)。私の友人で花作家をしている森直子さんは、こういう話をすべて理解してくれているから、冷蔵庫に「自分がもし倒れていたら柴田久美子を呼ぶように。そして彼女に息子2人を呼んでもらって、私のことを抱かせること」と書いた紙を貼ってあるんだそうです。彼女は私の言いたいことをよく理解してくれていて、「息子たちに魂を受け渡さないと、私の生きてきた意味がなくなる」と言ってくださっているんですよ。

テンプル ──

看取るのは家族でなくてもいいんですよね。

柴田 ──

ええ、そうです。愛おしいと思う人なら誰でも。だから皆で看取りあえばいい。そう思えば今を生きることが不安じゃなくなるし、死ぬ時にも安心して旅立てるでしょう。上野千鶴子先生は、仮に死ぬ時に一人だとしても、どうせ傾眠状態といって寝る時間が増えていくし、目が開いた時にはスカイプを使えばいいからちっとも寂しくない。何も困らないわ、とさえ仰っています(笑)。

テンプル ──

いやー、実際に最期が近くなったら人恋しくなるかもしれませんよ。

柴田 ──

ここに来て手を握って、と言うかもしれない(笑)。私は元気なうちから弱音を吐いて、皆で来てねと言っておきます。そして、その代わりにエネルギーをあげるんだからと、威張って死んでいきますよ(笑)。

テンプル ──

そういう風に見送る人、旅立つ人が対等な関係になれるのがいいですよね。看取りをしてくれる人に面倒をみてもらい、お礼にこれまで積み重ねてきた魂のエネルギーを贈るという。だから、私はこれから死ぬんだから親切にしなさいよ、とか言ってね(笑)。

柴田 ──

そんな冗談を当たり前に言えるくらいに、皆がプラスの死生観を理解する社会になったら、全国の施設にいる80万人のお爺ちゃんお婆ちゃんがどれだけ救われることか。マザーテレサはこれまでに3度、訪日されているんですが、そのときに「この国は愛に飢えている」と仰っているんです。私が最期を迎えた時、マザーに『見てください。日本はこんなに豊かな国になりました』と胸を張って言えるよう、一人でも多くの方と一緒に命のバトンを手渡せるような社会を実現していくこと。それがいま私が持っている大きな夢なんです。

今日は貴重なお話しをお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

インタビュー、構成:河野真理子 / 写真提供:國森康弘


柴田久美子さんのご著書