清水義久さんのタイトル 

Interview

テンプル ──

ケイシーがテキサスに土地を購入し、石油採掘にいったエピソード※1に関しては、名誉挽回といいますか、少し補足をさせてください(笑)。外れたリーディングの1つにカウントされてしまうとちょっと悲しいので…。あれは本来、ケイシーが受けたリーディングの内容をそのまま実践できる病院を設立しよう、そのための資金作りをしようという目的のもとにリーディングがとられ、行われたことでした。でも、石油の掘削に関わる人々の気持ちや理想が一致していなかった。具体的にいうと、純粋に「人々のために」と思っていた人が大半を占めるいっぽうで、やはりちょっとくらい自分たちもいい思いをしたい、利益を得たいという気持の人がいたんですね。

ケイシーはリーディングで何度も「ここに関与している人々が目的において、また理想において1つにならない限り石油は出ない」と警告しています。でも、関わる人々の理想が一致していなかった。その証拠に、彼らが掘削をやめた直後に同じ場所を買った人が、石油を掘り当てているんです。しかもリーディングが指定した場所だけあって、豊富な石油が今も出続けているという。ケイシー達がどれだけ掘っても石油が出てこなかったのに、掘る人が変わったら、あっさり掘削できたという。これって一体どういうこと?と、理不尽さすら感じてしまいます。そのプロジェクトに高邁な目的があればあるほど、関わる全員の理想の一致という高いハードルを求められて結局実現できず、一方、単なる利潤追求の人にはそれを求めないというのは、神様の厳しさを感じてしまいます。

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清水先生 ──

う~ん。それについて僕は少し違う見解を持っていて。石油を掘ることができなかったのは、神様の裁きというよりは、ケイシーの顕在意識に原因があったのではないかと思っているんです。ケイシーは敬虔なクリスチャンであったので、リーディングを使って個人の我欲の成功を満たす、ということに対してリミッターをかけていたのではないかと。

もちろん石油を掘ろうとしたのは、単にお金儲けをしたいがためではなくて、そこに高邁な目的と正しさがあったからです。だからこそ彼は、その計画が失敗した後に悩むわけです。自分のリーディングは当たらない。そもそも自分がリーディングをすること自体が間違っているんじゃないか、と。それで一度はリーディングすることをやめてしまいますよね。本当は、ケイシーほどの能力を持っていたら、石油など簡単に掘り当てることができたはずです。でも、そこを掘らなかったケイシーが素敵なんですよ。

もし掘っていたら、いま皆が知るケイシーとは全く違う存在になっていたのではないかと思うんです。表面的な世界では「ケイシー、やったね!」と評価されることになったでしょうが、その後に彼が行うリーディングの内容はもっと濁ったものになっていたかもしれません。つまりケイシーは、石油を掘らなかったことで永遠の存在になったんです。

そういう単に当たるとか当たらないとかいう部分に注目する人もいますが、僕としては、リーディングをしていないときの謙虚で純粋なケイシーの在り方にも目を向けるべきだと思いますね。とくに能力者なら、誰もが一度はケイシーの能力や彼の生涯について勉強しておくべきじゃないかな。僕なんて、ケイシーを知らなかったらもっと嫌な奴になっていたかもしれません(笑)。

テンプル ──

ケイシーをよく理解してくださってありがとうございます。確かに、石油王ケイシーになっていたら、色んなことが変わっていたかもしれませんね(笑)。

清水先生 ──

顕在意識はセルフだから、もし石油を掘りあてていたら、表面的な世界ではもっと評価されたかもしれない。でも100年後はどうなったでしょう?

テンプル ──

そのような視点から石油掘削の失敗をとらえたことがなかったので、新鮮な驚きを感じますね。

さて、この辺でそろそろ話の主題を清水先生のほうにもっていきたいのですが(笑)。 清水先生は気功術にはじまり、神仏のパワーを得る方法、方位学にタロット、フラワーエッセンスetc.……、あらゆるジャンルにわたってセミナーを開催されていますが、驚くことに、そのセミナーでの講義内容をいつも登壇したあと決められる、つまりぶっつけ本番でお話されているというのは本当ですか?

清水先生 ──

そうですね。もう30年ほど教えていますから、テーマは繰り返しのものになりますけれど、具体的な内容については毎回ノープラン。ですから、スタッフが一番驚いていると思います。彼らに「今日のテーマは何だっけ?」と始まる10分前くらいになって聞いたりしているから(笑)。講義内容についてたたき台を作ることもあるんですが、これまで一度も使ったことはないですね。 講座風景

テンプル ──

ということは、壇上に登ると内容が「降りて」くるんですか。

清水先生 ──

降りてくるというか、正確にはリーディングをしているという感覚に近いかな。どういうことかというと、まず参加者の皆さんを「場」というプールに浮かぶ複数の「浮き輪」であるとイメージするんです。すると、それぞれの浮き輪が、波の振動で沈んだり高いところに持ち上げられたりしているのが見えてくる。そして、気のエネルギーでもってそのプールの水に触れると、参加者一人一人が今日のテーマでどういう内容を求めているのかということが、全体意識の総合計として感じられるんです。そこに自分の意識をチューニングすると必要な情報がやってくるので、あとはもうイタコ状態になって話しているという。大喜利でお題を与えられた落語家が、その都度、当意即妙に答えていくようなものだといえるでしょうか。もちろんそういうことができるのは、過去から蓄積してきた情報のストックがあるからなのかもしれませんが、話している内容に「ここ、メモを取りたかった」と自分が一番面白がっているということもよくあります(笑)。

テンプル ──

参加者のエネルギーを読まれているんですか。その情報は、清水先生が過去学んで溜めていた泉から湧き出しているものもあれば、宇宙のクラウドからダウンロードしてくるものも一部混じっている感じでしょうか?

清水先生 ──

ええ、そうです。たとえば僕が授業で話したいテーマがあるけれど、その内容に皆さんが興味を示していないということが事前に分かってしまったとします。それでも僕が言いたいからと、用意していた内容をそのままぶちまけて共有ファイルに流し込んだとしたらどうでしょう。これは参加者への洗脳になってしまいます。そして、もともとその情報を必要としていた人や同調できる人には喜ばれ、教える講師はその人たちにとってカリスマ的存在になることができます。いっぽうその他の参加者は物足りないので次回からは来なくなり、セミナーはますます他の人が入り込めないような閉鎖的なムードになっていく……。

そういう事態に陥らないよう、僕の講座では自分が伝えたいことというよりも、参加者の皆さんが必要としているエネルギーに合わせてお話するようにしているんです。今日、お出しする料理は和食かイタリアンかということは決まっているけれど、具体的なメニューはあくまでも全員が美味しいと思えるようなものを提供しようと。そんな風に努めています。