山本 清次さんのタイトル 

Interview

テンプル ──

若い頃から一流の先生方との出会いが続いたんですね。他にも風水やアロマ、四柱推命などを学ばれ、どれも指導者になれるほどの実力をつけていらっしゃいますよね。そんな学びの数々が山本先生の中で結実してるわけですね。

山本先生 ──

岡島瑞徳先生が持っていらした整体の技術を土台にしていますが、そこに過去様々学んだことを付加し、自分独自の流儀を今は築いている感じがします。 野口整体指導

テンプル ──

岡島瑞徳先生には、先生が亡くなられるまで師事されたんですか?

山本先生 ──

はい、可愛がっていただきました。ある意味、先生には贔屓していただき、本当だったら試験に合格しないと出席できないような特別講座もすぐに受けさせていただくようになりました。他の先生から妬まれたりもありましたが…。

テンプル ──

岡島先生は山本先生を見込まれていらしたんでしょうね。普通の人が力をつけるには地道に5級、4級と段階的に学ぶ必要があるでしょうが、すでにその域に達している人には地道の道は不要ですしね。

山本先生 ──

その後は、ほとんど瑞徳先生の鞄持ちのような感じでずっとご一緒させていただき、先生の着物も畳ませていただきました。

テンプル ──

高校のとき鞄を持って歩かなかった代わりに、後年、瑞徳先生の鞄を持つようになられたんですね(笑)。

山本先生 ──

5年ほど瑞徳先生のそばで様々な技を勉強させていただきました。ただ、先生はスマトラの地震に巻き込まれてからずいぶん弱られてしまって…。

テンプル ──

え?あのスマトラ地震のとき、岡島先生は現地で被災されていらしたんですか。

山本先生 ──

それまで、かなり危険な目に合われてもすり抜けて来られたんですが、スマトラ地震の後は回復できませんでした。先生は世界中に養生施設を作りたいと各地を視察していらしたんです。暖かい国の方が身体が緩むので治しやすいと、その時にはスマトラに滞在中でした。かなりの重症を負ってお帰りになったんですがそれが癒えないうちに、帰国後のマスコミの対応などで自宅に帰れない状況が続き、本当にお疲れになられて…。それがある程度収まったら休んでいただきたかったんですが、目の前には整体操法を求めて通ってくる会員さんが列をなしていたわけです。先生は目の前に会員さんがいる限り休めないと仰り、連日80人以上の整体をされて、それもあって先生は体調を崩されました…。ある時、80番目の最後の会員さんを見送られたあと、先生はもう立ち上がれませんでした。緊急入院されましたが、退院は叶いませんでした。それが先生の寿命でもあったのかもしれませんが、残念です。

テンプル ──

岡島先生も、自分の持っている全てを山本先生に引き継ぎたいと思われていたのかもしれませんね。

山本先生 ──

元来はとてもお元氣な方で、夜遅くまでお酒を飲んでも朝はケロリと起きていらっしゃる方でした。でもスマトラ地震の影響がひどくて…。特に右脚が切断寸前というくらい化膿していました。日本に帰国された後の治療でなんとか切断は免れたんですが、整体の観点からいうと右脚は大腸と関連があります。「先生、このままいくと大腸がんの心配が」とお伝えもし、心配もしていたんですが、過労には勝てませんでしたし、先生ご自身の道を貫いて生き切ることを選択された様でした…。 先生の最後についてはとても心残りではありますが、僕は今、先生から学んだ技法1つ1つ使うたびに岡島先生がそばにいらっしゃるように感じています。