入佐 明美さんのタイトル

Interview

入佐 ──

私は子供の頃から、月謝や献金を全部新札でしていたんです。だから私には普通のことだったんですね。お祝いの気持ちもありましたし。そういえば、このことは小林さんがずいぶん感心して下さっていましたよね。

テンプル ──

皆さんからは、ちゃんと返済はあったんですか?

入佐 ──

最初の4~5人は途中でいなくなられた人がいましたが、私が反省をして、希望を聞くようにしたら、全員から全額の返金がありました。

入佐さん

テンプル ──

返済もなく、突然いなくなった人がいても「こういう境遇の人はやはり信頼できないな」とは考えなかったんですね

入佐 ──

私は人をそういう風に見れないんです。例えば、いい服を着た会社の社長さんであっても、野宿をしてるオジさんであっても、私にしたら一緒なんです。 

野宿からアパート生活を始めたあるオジさんが、なんで私が労働者の人の心を捉えたかという分析されたことがあります。その人が言うには、私は神父さんと喋る時でも、お医者さんと喋る時でも、有名な方と喋る時でも、野宿している人と喋る時でも、全く態度が変わらない。誰にでも一緒の態度なんですって。そこが釜ヶ崎の人たちの心を掴んだんだ、と言われていました。

テンプル ──

アパートに入居して生活が安定された方々の生活はどんなふうでしたか?

入佐 ──

だいたい路上で野宿されていた人は、高齢者の方ばかりでしたから、後は「生きる」ということです。ほとんどの方は、生き生きと元気になられました。

テンプル ──

そういえば入佐さん、そのオジさん達の為に礼拝してらっしゃいましたよね

入佐 ──

26年間やりました。事務所で。

テンプル ──

入佐さんは、牧師先生なんですか?

入佐 ──

牧師の資格はありません。相手の方にしてみれば、野宿をして死にかかっていたのを、こういう風にしてもらったっていう思いがあって、私が何も言わなくても私が行っていた教会に自然に来られるようになったんです。でもそういう人には普通の教会ではうまくいかない。敷居が高いですし、説教が難しいこともあり、色んな無理をしちゃうんですね。 

オジさん達が居心地悪そうにしていたので、独立して教会を作ったんです。毎日曜日10時半から12時まで。 聖書の話は10分だけ。後はみんな賛美歌を歌っていました。「主の祈り」を祈ったり、一人ひとり、お祈りはしましたけど、後はずっと歌っていました。毎回十数曲は歌って。 

最初は10時半から11時半までの礼拝だったんですが、みんな一人暮らし。賛美歌を歌うからお腹も空きます。11時半に終わって家に帰って、一人で食事の準備するのは大変だから、簡単なものですけど、ゴハンと野菜をゆっくり炊いたスープを出すようにしたんです。そしたらそっちが好評で(笑)。

テンプル ──

そりゃ、入佐さんが心を込めて作ってくれる料理を食べられるなんて、どんな食事でも嬉しいですよ〜。讃美歌のときは、入佐さんがオルガンを弾いたんですか?

入佐 ──

ピアノをある程度習っていました。幸せな時間でした。野宿していた人たちが元気になって賛美歌を歌っている。その人たちの歌に伴奏する。伴奏っていうよりは仕えているっていう感じで、すごく心地よかったです。あれは幸せな時間でした。

 私は心底音楽が好きなんですね。集まってくるオジさん達も、歌が好きで、時間の都合で一曲、賛美歌を減らしただけで、「賛美がたらへん!」と苦情が出るほどで(笑)。 

「時間の都合って言われても、時間はなんぼでもあるやんか」って、すごかった。それに、みんな上手かったんです、歌が。 集まる人の半分が元アルコール依存症の方でした。あの人たちはカラオケで喉を鍛えてるんですよね。すごい楽しかったですよ。

テンプル ──

当時の集会の様子を取材された記事はないですか?

入佐 ──

外部の方は一切入れませんでした。どこの教会にも入れない、行きたくても行けない人のための集会でしたから。

テンプル ──

何人ぐらいの方がいらしたんですか?

入佐 ──

ずっといらしたのは高齢者の方ばかり7、8人。高齢者でしたから、一人ずつ亡くなっていかれました。亡くなった方がいらしたときは簡単なものですが、皆んなでお祈りもして。

テンプル ──

自分が亡くなったらこうやって祈ってくれる人がいる。それだけで安心を感じられたと思います。

入佐 ──

病院の検査結果を見せてくれて、一週間に一度くるだけだけど、野菜スープのおかげでこんなに良くなったって言ってくれたり。そういえば、無教会でやっていたんですが、無教会ってインテリやお金持ちの人が多いそうです。だから、無教会のクリスチャンの方が、貧乏人の無教会ができたって、それはそれは喜ばれたそうです(笑)。

テンプル ──

無教会って、内村鑑三先生が提唱された集会ですよね。そこに来られる方はインテリの方ばかりなんですか?

入佐 ──

ばかりではないけど、多いみたいです。だから、釜ヶ崎のオジさん達はとても行けない。 

集会に来られていたおじいちゃん、その人は私のことを先生と言われていたんですけど、「先生は何をしてる時が一番幸せですか」と聞かれたので、私はみんなが集会の時に喜んで賛美歌を歌っている顔を、オルガン弾きながら見ているのが一番幸せ」って言ったら、「ワシは先生が作ったご飯をみんなで一緒に食べる時が一番幸せ」って。あの人たちはずっと一人で生きてこられていましたから。差別され疎外されながら。 

うちの集会では大学卒業の人もいたし、字が書けない人もいました。でも、それを分からないように行ってました。

テンプル ──

分からないようにって言うのは、具体的にどういう工夫ですか?

入佐 ──

聖書を読むのも、みんなで声を合わせて、ゆっくりと読んでいきましょう、というやり方。だから、字が読めない人がいても気づかれないんです。そういふうにしていたので、誰が大卒で誰が字が読めないのか全くわからない。皆平等だったんです。