入佐 明美さんのタイトル

Interview

テンプル ──

釜ヶ崎に入って10年目にも、体調を崩されていましたよね。

入佐 ──

釜ヶ崎に入って10年経った頃やったと思います。大阪の環状線に乗って本を読んでいたんです。電車の一番端の入り口に近いところに座って、鞄を脇に置いて一心に本を読んでいたんですけど、 電車を降りようと思ったら鞄がない。私は田舎者なので、無防備な感じで鞄を脇に置いてたんです。鞄には鍵もお財布もすべてが入っていました。鞄が取られたことで何だか魂まで取られた感じがして。それからは喪失感でガクガクってエネルギーが落ちて、働けなくなってしまったんです。10年間の疲れがそれをきっかけに一気に出たんだと思います。

テンプル ──

どんな状態になられたんですか?

入佐 ──

気持ちの落ち込みがすごくて、鬱みたいになってしまって。元気が戻るまで5、6年かかりました。 だから10年経った後はちょっとずつしか仕事ができなかったんです。一応事務所には行って電話がかかってきたら対応するとか、これまで関わりがあった方をフォローするとか、少しは仕事をしていましたけど、ほとんどをぼーっと過ごしていました。

テンプル ──

アパートの家賃や生活費はどうされていたんですか?

入佐 ──

貯金がありましたからそれを崩しながら生活をしていました。 それでも、釜ヶ崎に残って細々とやっていたんです。この頃に日曜日の集会も始めましたし。ただ誰かに相談しようにもなかなか、この人と思う方がいなくて、数年は長年の疲れで燃え尽き症候群のようになって、ひたすらセルフカウンセリングをしていました。本だけは読んでいましたけど。

無我夢中でやってましたが、やっぱり疲れが溜まっていたんですね。 

テンプル ──

立ち直るきっかけは何だったんですか?

入佐 ──

時間が薬でした。40歳過ぎに『地下足袋の詩』の本を出して、少しずつ元気になって…。色んな所に原稿を書いていたのがあったので、それを集めて本になりました。その本は自分の名前で書いた3冊目の本になります。

地下足袋の詩

テンプル ──

本を出版されて活動の範囲が変わったり広くなったりしましたか?

入佐 ──

普通に仕事ができるようになって、講演会の依頼も増え始めました。そういえば、なおこさんが私を知ったきっかけは何だったんですか?

テンプル ──

小林正樹さんに「神様に一番近い人が釜ヶ崎にいるよ」と紹介されて。小林さんは「入佐さんの一番すごいのは、自分が凄い事をしてるって事を全く意識してないことだよ」って言われていました。 

入佐さんに会いに釜ヶ崎に行きたいって頼んでことがあるんですが、オジさん達が緊張するから…と引き留められました。

 その代わり、東京で講演をしていただいたことがありますよね。入江富美子さんとのコラボで。

入佐 ──

あの時は何かとても楽しかったですね。 講演会の様子

テンプル ──

良い講演会でした。 あの時来てくれた友達が「スピリチュアルと言われる人が増えているけど、中身や実態の伴わない人も多い。入佐さんはご自身をスピリチュアルとは言われないけど、私が目指したいスピリチュアルな人は入佐明美さんだ」って言っていました。

入佐 ──

自分じゃ、分からないです。

テンプル ──

ケースワークのお仕事をしているなかで「あ、あの人を傷つけてしまったかも」と後で落ち込んだことはありましたか?

入佐 ──

傷つけてしまったことは、いっぱいあるとは思います。でも聴くという姿勢でずっといるので、こちらから何かを相手に言うってことはそんなにないんです。例えば、生活保護の手続きをしたり、家を探すときも、どういうところがいいですか?と聴き続けて、相手の方が喋り始める。

テンプル ──

中には、一般常識が通じない人もいたんじゃないですか?実は私の父は材木業をしていて、従業員さんが何人かいたんですけども、最初は普通の人たちでしたが、危険、汚い、きついの3Kの職種ですから、そのうち、だんだん字が読めない人とか、他では働くのが難しそうな人が来られるわけです。そうすると機械を雑に扱って壊したり、急に休んだり、連絡が取れなくなったり、お酒飲んで飲んだくれていたりと困ったことがよくあったんですね。 

そんな方がいた時、がっかりしたりストレスを感じることはなかったですか?

入佐 ──

それは、仕事に来る人として人を見てますよね。私は相手が野宿をして生きるか死ぬかなんです。これからアパートを探して、生活保護を受けてということからスタートなので、とにかく必死なんです。頑張るんです。だから相手の方の言動に何かを思う、ということは何もなかったです。 字が書けない人がいても、だったら私が付きっきりでサポートしますから、気にしないで下さいと。それで関係ができていく・・・。仕事に来た人を雇用するっていう立場ではなく、私のように生きるか死ぬかの人として見るのか。そういう中で接するので、相手が出す部分が違うんだと思います。だから人に対してストレスを感じるって事は無かったです。

テンプル ──

ストレスはなかったけど、10年経ったら倒れてしまうほどの緊張感はあったんですね。

入佐 ──

初対面ですぐにその人の人生と生命に関わっていくわけですね。この人はアパートを借りられたけど、そのアパートで本当に満足されたかな、ちゃんと定着されるかなと、やはりその日は熟睡できなかったんです。電話もないし、家族もいない方々なので、病気になって、急に血圧が上がって脳梗塞にならないかなといった緊張がすごくありました。

テンプル ──

1ヶ月に何人ぐらいの方のサポートをされていたんですか?

入佐 ──

大体、アパートを借りて生活保護の申請をして、2週間くらいで生活保護費が支給されます。その間、ひとりに2週間つきっきりでお世話をしました。だから月に2人ぐらい。多い時に3、4人にという感じです。気心が分からない中で関わる。野宿に戻ったら命取りになることもあるので、緊張もありました。