入佐 明美さんのタイトル

Interview

テンプル ──

芯が通ってブレないその強さはどこから生まれたんでしょう。

入佐 ──

家庭環境だと思います。父は無口だったけど、ものすごく優しくて純粋だったし正直だった。家の事は母にまかせっきりで、町が良くなること、みんなが幸せになることをずっと思っていました。みんなが幸せにならないと自分も幸せでないみたいな。そんな価値観で生きていた人でした。

テンプル ──

お父さんは忙しくてあまり家にいなかったって、さっきおしゃってましたけど、お父さんの影響は多大だったんですね。

入佐 ──

とにかく優しかったですから。 私がどんな生き方をしようと、自分の人生だから納得する生き方をしなさいと。 父は母にも微塵の要求もしなかったので、男の人が女の人にごちゃごちゃ言うの、最初は本当にびっくりしました。

テンプル ──

お父様は全肯定の方だったんですね。

入佐 ──

母は今、94歳ですけど、とっても元気です。少し心臓が弱いですが、頭は本当にクリアで元気なんです。それはやはり、父が母に小言や叱責などを全くしなかったことも大きいと思います。 だから私も労働者の人に、こうしたらいいですよ、ああした方がいいですよ、とも言わなかったんです。それが労働者の方にも心地良かったんじゃないかなと思います。

テンプル ──

釜ヶ崎の方は、親の愛情に恵まれなかった方が多かったと聞きましたが、やはり家庭環境と労働者の人生は密接につながっていますか?

入佐 ──

養護施設で育ったり、幼少期から家族の愛情をあまり受けられなかった人が多かった。だからなおさら、その人が一生に一回でも幸せを感じられるようなことのために何かしたい。そのためだったら命の限りやりたいと思ってました。その方々の生い立ちを聞いていたから尚更。

テンプル ──

引退された今は釜ヶ崎を訪ねたりはされてないんですか?

入佐 ──

今は完全に引退しています。 2019年の8月から母を引き取って、今は母と一緒に暮らしています。 講演会に時々呼ばれる以外、仕事はしていません。 

母親として娘に色んな期待をしていたと思うんですけど、それを木っ端微塵に砕いてしまいましたから。それでも私を支えてくれて宅急便でいろんなモノを送ってくれました。そうしてもらったことの1/100でも返したいと。 そういう意味で母と暮らすようになって、私の魂も元気になりました。母も私のために長生きしてくれているように思います。 

鍼灸の先生が、普通90歳を過ぎた親を引き取ると、子供の方が疲れて行くと言われてましたが、私は親を引き取ってかえって元気になりました。母のために3食きちんと料理をして一緒に食べていますから。

テンプル ──

お仕事から引退された今、入佐さんの興味のあることは何ですか?

入佐 ──

以前、東京で人生相談などにのっていたというオジさんと役所に行った時に、受付にいた人が顔に癌が出来てたんです。顔の癌なんて、女性だし辛いですねって話しをしたら、その方が「こんなところで働いていたら癌にもなりますよ」って。「何でですか」と聞いたら「役所でマイナス波動を毎日受けているから」って。「私は釜ヶ崎で毎日マイナス波動の中で働いているし、私も将来ガンになるかしら?」って聞いたら、その人が「あなたは大丈夫」って。その人が言うには、私はマイナス波動の中で働いているけど、お世話をして、後々、感謝の波動を受けているから絶対大丈夫ですよって。 

私はそういう考え方にびっくりして、それで波動ということにすごく興味を持ち始めました。

 今、私が興味を持っているのは自分の波動を上げること。自分の周波数が高かったら、相手もその波動に合わせて上がってきます。そう言ったことにようやく気がつきました。私は鍼の治療に行ったりして、自分を整え、調和の状態を求めながら母と関わっています。 母とどうやって関わったら良いかと心配したこともありましたが、今は何とも思わない。私の周波数、波動を上げればいいって、とにかく私が調和することだけを考えています。そしたら、すごく気が楽になりました 

これからは、ひらめきと直感を大事にして、それに従って生きて、周波数を上げることに集中したいと思います。そしたら幸せ感が溢れてくるし、感謝が溢れてくるように思います。最高の奉仕は、まず自分の波動を上げることだったんだと、引退してから、65歳を過ぎてから気づきました。

今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

インタビュー、構成:光田菜央子


入佐 明美さんのご著書