離婚をして、これからどうやって生きようかなと思っていた頃に札幌で出会ったのがジャーナリストの稲田芳弘さんです。稲田さんは千島学説※1の普及と啓蒙に力を入れられていた方で、『がん呪縛を解く』など多くの本を遺されました。稲田さんは、私のことを気に入ってくださり、これからカナダのガストン・ネサン氏のところに勉強に行くので一緒に行きませんかと誘って下さいました。 最初は8歳の息子を置いてカナダには行けないと躊躇したんですが、「子供と一緒にどうぞ」と勧められ、息子と一緒にカナダのガストン・ネサン氏のツアーに行きました。
そこで、私は中山さんと息子さんにお会いしているんですよね。 少しガストン・ネサン氏についてご説明すると、ガストン・ネサン氏は21歳で光学顕微鏡(ソマトスコープ)という顕微鏡を独自で作られました。そのソマトスコープは生きた細胞を最大3万倍の倍率で見ることができるという世界に1台しかない光学顕微鏡で、その顕微鏡で人間の血液を観察し続けた中でネサン氏が発見したのがソマチッドという微小生命体です。そのソマチッドは、癌などの重い病気に罹ると16のサイクルで変化をすることが分かり、その研究を元に製造されたのが「714X」という薬剤です。私たちは、その「714X」とソマチッドを学びにカナダに行きました。
ちなみに、日本では「ソマチッド」を増やすというサプリがアチコチで販売されていますが、ガストン・ネサン氏が発見された「ソマチッド」と、日本のサプリ会社が観察している「ソマチッド」は違います。ネサン氏によると、ソマチッドは数が多いから健康というわけでも、サプリで補充できるものでもないそう。ネサン氏のもとで実際の「ソマチッド」を学んだ日本人はたぶん20名程度なので、ネサン氏が血液中に発見した「ソマチッド」とサプリの成分は別物である、としか言えないんですが。
そうでしたね。そのカナダツアーで初めて菜央子さんとお会いしました。そして、そのツアーでご縁をいただいたのがイーハトーヴクリニックの萩原先生です。萩原先生が過去生退行催眠をされる方だと聞いて、ちょうど本を読んでいたブライアン・ワイスさんのことを一所懸命に萩原先生に説明をしました。萩原先生は「そうですか、そうですか」 と優しく相づちを打って下さっていたんですが、後から、萩原先生はワイス博士のもとで過去生退行催眠を勉強された方だと聞いて、本当に赤面しました。
ツアー中、萩原先生に私のこれまでの人生のお話をしました。どうしてこんな困難な人生を選んでしまうのかと。すると萩原先生に「それなら、帰りの飛行機で過去生退行をしてみましょう」と言ってくださいました。
カナダでの滞在中には、フリータイムがありましたよね。なぜわざわざ飛行機の中でのセッションになったのでしょう?
滞在最後の夜、みんなで晩ご飯を食べに行きましたよね。その時、萩原先生、なぜか私に催眠術をかけてくださったんです。その時、私がとても非暗示性が高かったんです。
日本に着いて、帰りの飛行機の中で、中山さんが萩原先生から退行催眠のセッションを受けたと聞いてびっくりしました。飛行機の中は意外と轟音ですし、席もほぼ埋まっていましたよね。周りに大勢の方が座っている環境で、しかも轟音の中で退行催眠が出来るんだーと本当に驚きました。
あのセッションは今でもはっきり覚えています。人生の中で一番すごい体験でした。色んな場面が、すごくリアルに見えたんです。当時、私は母との関係が悪くて、母との関係性を知りたくてセッションを受けました。私が過去やってしまった間違った選択は、母との関係から来ていると思っていましたし、私の人生は、何でこんなに大変になっていくのか知りたかったんです。
そしたら、母との過去世が見えたんです。別の過去世も見えました。最後に萩原先生から「マスターを呼んでください」と声をかけられたんですが、その時、なぜかイエス・キリストが出てきたんです。私は祖母が仏教徒ですし、母は神道の信者で、キリスト教とは全く縁がありません。それなのに、なぜかマスターを呼んだら、イエス・キリストが出てきました。
「マスターを呼ぶ」と意図したらイエスが登場したんですか。それは驚きますよね。
イエスの姿をみて号泣しました。こんな世界があるんだと驚きました。萩原先生に「マスターの中に入ってください」と言われ、イエスの中に入りました。 そしたらびっくり仰天してしまって。事前に萩原先生には「マスターへの質問を用意しておいてください」と言われていたので、たくさんの質問を考えていましたが、 イエスの中に入ったら、全ての質問が消えてしまったんです。こんなに満たされているのに、質問なんか出来ません。
全てがそこにあり、噴水のように愛が溢れていました。あんなに愛に溢れた世界はそれまで体験したことがない。あんな体験はあの時だけです。愛溢れる世界を高度1万メートルで体験しました。涙が溢れて仕方ありません。こんなに満たされた世界があるんだと、本当に驚きました。セッションが終わった時、私は完全に放心状態でした。
札幌の自宅に戻った時、母から電話がありました。 電話に出た途端、母が「ちあき、愛してる」って言ったんです。本当にびっくりしました。私と母は本当に仲が悪かったんです。母は私が生まれた時から私が憎くて、赤ちゃんだった私を床に叩きつけそうになったことさえあります。愛せなかったんですね、子供を。
母は私が3歳の時に離婚をしましたが、完全に育児ノイローゼになっていたと思います。なので、兄も私も放任されて育ちました。兄は母親の愛情不足から非行に走ったりして、本当に私たちは母から見放されて育ちました。私たちを祖母に預けきりで、仕事と恋愛に走っていました。 私はある意味、複雑な家庭で育ちました。母が私たちを連れて戻った家は大きな家で、そこに母の姉夫婦、祖母と母と私たち兄妹が住んでいました。伯母夫婦は、途中からフィリピンパブを経営し始めたので、フィリピンの女性6人とも一緒に暮らしました。 母は仕事と恋愛で家に帰ってこない。そんな環境で私は育ったんです。
幼少期はとても寂しい思いをしました。それがとても恨みつらみとなっていました。 その母から飛行機の中でセッションを受けて帰った途端に「愛してる」と言われたんです。本当に驚きました。何が起きたの?って。
日本では、仲のよい家族でも「愛してる」なんて、お互いに言わないですしね。