中山千晶氏のタイトル

Interview

テンプル ──

引っ越しばかりの生活の中で勉強を続け、しかも成績優秀だというのは、本当にすごいですね。

中山 ──

大学受験の時は、東大を進められるくらいだったんですが、関西にいて欲しかったので、関西の大学を選びました。

私の子供とは思えないです。 本当に漫画を読んでゲームをして、ゴロゴロしていた小学生でしたから。 でもセッションでは、息子に勉強を強制しないようにと注意を受けていました。だから「勉強しなさい」と彼に言ったことはほとんどないんです。ある時期が来たら勝手に勉強するからと。結局、息子が受験勉強を本格的に始めたのは高校3年の秋からでした。

マレーシアの寺院前にて。中山千晶さんの息子さんの画像

テンプル ──

確かに男の子は、スイッチが入ったら突然勉強を始めることがありますよね。でも高校3年の秋からの受験勉強で現役合格。要領と勉強のセンスが良かったんでしょうか・・・。

それにしても、息子さんは、幼少の頃から、本当に何十回と引っ越しをして、国も変わり、住む場所も家も変わり続け、ついでに父親も変わりと、とても落ち着いて勉強する環境にはなかったと思います。そんな環境下で、今、東大の大学院で学ばれているというのは、息子さんがよほどしっかり自分を保たれていたと思うんですが、息子さんを育てるなかで心がけていたことはありますか?

中山 ──

息子が生まれたとき、彼の将来を夢で見ていた、ということもありますが、このヒプノチャネリングの能力を私が開花させた後は、息子の過去世や性質、どういう風に育てたらいいのかを折りをみてマスターに聞き続けていました。すると、息子にあった環境を用意するだけでいいと。「勉強をしなさい」と言わなくても、時期が来たら自分で勝手に勉強をするようになるから、「勉強のことは言わなくていい」とも言われました。 なので、息子に勉強をしなさいと言ったことはほとんどありません。マスターのアドバイスどおりに育てていました。

思春期の難しい時は私とは言い合いになってしまうので、息子が直接マスターと会話してもらいました。それで息子自身の悩みを解決してきました。あとは、私は鍼灸師をしていたので、息子が生まれた時からマッサージを毎日のようにしていました。「愛してる。ママのところに来てくれてありがとう」という言葉も寝る前に毎日言っていました。それもあってか、大変な環境の中で育っていますが、愛情は感じていたと本人が言ってくれています。

テンプル ──

言葉と行動で、毎日、息子さんにご自身の愛を伝えていらっしゃったんですね。話を聞いているだけで、目が回りそうな環境の中で、息子さんがグレもせず、素直に育ち、しかも優秀な成績で大学に入られたというのは、本当に素敵です。

その中山さんから、子育てで悩む親御さんに何かアドバイスはありますか?

中山 ──

1つ言えるのは、「テレビを見ない」ということですね。テレビは子どもが小さいときに処分しました。テレビを無くして本当によかったと思っています。あとは、子どもが幼くても「自分を知る」ことは大切だと思います。人は、自分が何者か分からないから不安になります。息子は、マスターとの対話で、幼い頃から自分はこういう人間だということが分かっていました。それはきっと彼にとって支えになったと思います。自分がする選択に迷いがなくなり、何をすべきかが分かりました。なので、自分が何者かを子供たちが知る環境を作ってあげるのは良いと思います。それから、スキンシップを大事にすることだと思います。そして、互いになんでも話せるような場をつくり、会話をたくさんするようにしていました。

テンプル ──

日本は子どもたちに神話を教えない国ですが、神話を学ぶことは子ども達の魂の力になると言われています。ほとんどの子どもは、中山さんの息子さんのようにマスターとの対話が出来る環境にない分、自分の魂の起源として神話を学ぶのは良いかもしれません。

中山 ──

神話ではないですが、息子が高校生だったときのあるセッションで、マスターが「君は超自然を学ぶ必要がある」と息子に言ったんです。翌日の現代文の授業で、超自然という言葉が出てきて、息子はとても興奮していました。そういう意味でも、神話のような超自然的なことを知ることはとてもいいことだと思います。

テンプル ──

超自然に理解がある環境で育ち、デジタル機器から離れる時間が長い子どもの方が精神が安定し、自殺率が低いという統計もあるそうですよ。

さて、また中山さんのこれまでの歩みに戻りますが、海外で長期に暮らした後で帰国された時には体調は最悪だったようですが、帰国後はどう過ごされていたんですか?

中山 ──

横浜に戻りセッションをすると、次の誘導者が見つかると言われ、それは2番目の夫の甥でした。顔も風貌も全部セッションの中で見ていたので、すぐに誰か分かりました。 その彼と結婚をし、岡山に移りました。あの頃はまだ体調が悪かったので、死ぬなら東京より田舎がいいと思ったんです。この出会いが奇跡的で、彼の献身的な介護のおかげで回復できたんです。あの出会いがなければ、今ここにいないとさえ思います。岡山で息子は3年間落ち着いて勉強をすることができましたし。そして、息子の阪大合格を機に、家族で大阪に引っ越しました。

大阪に引っ越し、暮らしが落ち着いた頃、コロナが始まりました。

2020年1月のセッションで、 これから変な風邪が流行る。 その風邪は罹ってはいけないものだから、すぐに大阪を離れなさいという警告がありました。息子はまだ大学の後期試験が残っていたんですが、その試験を受けさせず、留年させて徳島に戻りました。「試験を受ければ進級できるのに」と大喧嘩になったんですが、これまでの経緯があるので、彼も納得をして 徳島に戻りました。

徳島に戻った直後に、 春節の休暇で中国から大挙して観光客が大阪に入ってきたので、本当にギリギリのタイミングでした。

とにかく息子は留年し、家族で徳島に籠もっていました。このウイルスは単なる風邪ではなく、性質の悪いものだからと言われていましたが、あっという間に世界を覆っていきましたよね。もちろん、ワクチンも打ってはいけないとセッションでは言われていました。

まだ岡山にいる時に、結婚生活は「6」が来た時に終わると予告されていました。「6」の時に彼は自分の世界に戻ると。彼は私の過去世で息子だった人で、仲も良かったので驚きました。実際、昨年6月に彼とは離婚をしています。