中山千晶氏のタイトル

Interview

中山 ──

飛行機の中でのセッションのテーマは、関係性の悪かった母との関係でした。過去世退行では、そんな理由があったから私を愛せないんだということを理解しました。そしたら、家に着く頃には母が変わっていたんです。あの母が、私に「愛してる」って言うなんて。

テンプル ──

ワイス博士の本でも、そういった事例はいくつも紹介されていますが、実際にご自分で体験されると、衝撃的で強烈ですよね。

中山 ──

すぐに萩原先生に電話をして、「過去生退行のセッションって、私が変わるだけではなく、相手も変わるんですね」と質問したら、「そういうこともあるかもしれませんね」と。「そんなことがあるなら、催眠療法を勉強したいです」と萩原先生に伝えました。萩原先生としては、ちょっと勉強をしに来るくらいかなと思われたようですが、 私はすぐに息子と横浜に引っ越して、萩原先生のもとで学ぶようになりました。

テンプル ──

すぐに札幌から横浜に引っ越すなんて、行動力が半端ないですね。ガストン・ネサン氏を訪ねたのが2009年の6月で、秋にはもう横浜に引っ越されたんですね。

中山 ──

私は色彩診断治療を学んでいましたから、ガン患者さんのお役に立ちたいとクリニックに行くようになりました。

札幌にいる時、自分のセッションで未来を見たら、見たこともない桜並木が見えました。未来の私はここに行くんだと思っていたら、横浜の萩原先生のクリニックへ行く道でした。こうやって未来もはっきり見えることが分かりました。

横浜のクリニックで萩原先生からあらためて退行催眠を受けたとき、私の過去ではなく、私自身が萩原先生の中に入っていました。萩原先生の意識が分かったんですね。それで、萩原先生のマスターを呼び出し、萩原先生のことを聞いたりしました。そしたら、萩原先生が「これはとても面白い。研究してみましょう」とおっしゃったんです。

セッションが終わったちょうどその時、ピンポンとドアのベルが鳴り、 次の患者さんがいらっしゃいました。すると萩原先生が、「もしその患者さんの承諾が得られたら、その患者さんのセッションをやってみますか?」と提案がありました。

そこで初めて、癌の患者さんのセッションをやることになりました。「えー、そんなことができるのかな?」と疑いながら始めたんですが、実際にできたんです。それがヒプノチャネリングの始まりです。

中山千晶、ヒプノチャネリングセッション中の画像

テンプル ──

2009年の秋に、もうヒプノチャネリングは始まっていたんですね。

中山 ──

そうです。いろんな偶然が重なり、2009年からスタートしました。

テンプル ──

ここで、少し話題を変えて幼少の頃のことをお聞きしますが、中山さん、以前、子供の頃にUFO を見たことがあるとお話されていましたよね。

中山 ──

UFOを見たんじゃなくて、UFOに連れ去られたんです。 子どもの頃に住んでいた徳島の「大きな家」の庭には大木があり、その庭に面して大きな窓がありました。あれは私が6歳か7歳の時のこと。ゴーっと轟音がして庭を見ていたらオレンジ色の光が降りてきて、その大木がポーンと瞬間的になくなったんです。木がなくなった!と思った瞬間、私は自分のベッドで寝ていました。慌てて庭の木を見に行ったら、元通りになっていました。すごくリアルで、ずっとそのことを覚えていました。後に自分のセッションで、その時の出来事を再体験しました。

テンプル ──

その間のことは、大人になるまで記憶をなくしていたのに、セッション中に思い出したんですか?

中山 ──

UFOに乗る前のことまでは、リアルに覚えていました。大人になって母にこの時のことを話したら、徳島の眉山(びざん)で、大勢の人がオレンジ色の光を見たという事件があり、地元の新聞にも掲載されていました。伯母も見ていましたし、UFO を見た人もたくさんいました。私は眉山近くの山の上に住んでいたんですが、UFOに連れ去られ、4人の宇宙人に囲まれました。彼らはテレパシーで会話しており、なぜ私を連れ去ったのかという事情も教えてくれました。

宇宙人は、人間の感情を研究していました。宇宙人はあまり感情がないらしいんですね。地球上で人間同士が足を引っ張りあったり戦っているのは、人間の感情の種類がたくさんあるからではないか。そんな理由で人の感情を調べていたようです。

後に兄にこの話をしたら、兄も別のタイミングで UFOに連れ去られていました。兄は家の近くの古墳に犬の散歩に行ったら、犬ごとUFOに連れ去られたそうです。兄も気がついたらベッドにいたと言っていました。その体験を私たち兄妹は30歳すぎてようやくシェアできたんです。

テンプル ──

何故、私がこの質問を中山さんにしたかというと、UFO体験があったことで、中山さんの感受性や繊細な感覚が高まったのではと思ったからなんですが、そういう自覚はありますか?

中山 ──

それは分かりません。母が言うには、私は小さい頃から変わっていたそうです。また母も、少しサイキック能力がある人でした。

宇宙人繋がりで、もう1つエピソードをご紹介します。2015年頃、ハワイで萩原先生の講演会が開催されました。私もハワイに同行して催眠の話をさせていただくことになりました。ハワイに行く前、自分のセッションをしたんですが 「ハワイで宇宙人と出会う」ことが分かりました。その時には、宇宙人がハワイで暮らしているのかなくらいに思っていたんですが、講演会で私の話にとても興味を持って下さった方がいたんです。自閉症の子供さんをお持ちの方で、お祖母さんが自閉症の孫のことを一所懸命治そうと、ありとあらゆる治療法を試されていました。電気ショックを与える治療法もやっていました。でも、全然良くならない。それで子どものセッションをして欲しいというリクエストでした。

セッションの場に息子さんはいなかったんですが、私が見たところ、彼は非常に敏感な聴覚を持っている子供さんでした。お祖母さんの足が床を摺るその音さえ雑音として響いてしまう。その息子さんはどうやら宇宙由来の魂で、特殊な能力を持っており、それを理解して大事に育てたら、彼は将来、周波数を使って人の病気を治す人になるとセッションでは言われました。

ただそのお祖母さんは彼に薬物療法や電気ショックを与えるような治療をしており、 繊細な感覚や特殊能力については全く理解がないようでした。お母さんは「分かります。そんな気がしていました」と言われていましたが、お祖母さんはそれを「良し」としないわけです。何としても治したいと、すでに高額の治療費も使っていました。彼は自然音は大丈夫なんですが、人工音は耐えがたい。あまりにも耳が良すぎたんです。「宇宙人に会う」というのは、結局、彼のためのセッションをすることだった、ということが後で分かりました。

「彼を自然の中で大事に育てなさい」 とマスターは何度も母親に言っていました。「私たち人類にとって有益なものを後年開発する人になるであろう」とも。その後、そのお母さんがどう行動されたのか、今でも気になっています。