山田周生氏のタイトル

Interview

周生 ──

トム・クルーズ主演の『オール・ユー・ニード・イズ・キル』というSF映画をご存じですか?舞台は戦場。何度も戦死し、そのたびに同じ場面に生まれ変わるうちに、最弱な兵士だったトム・クルーズが世界を救う人になっていくというような内容です。

毎年のようにサハラ砂漠に行っているうちに、何度も同じような体験をしました。毎回ハードな砂丘との格闘。そして、マシントラブル続出。現地の人とのつき合い方が分かるようになって、何をどう言えばいいか、その後でどうなるかもだいたい見当がつくようになってきます。起こることに法則があることにも気が付きました。

極地でも、必要な場所に導かれるようにその場所にちゃんと行けたり、意味がある人と必ず出会う。シンクロニシティというか、起こるべきことが起きていることをキャッチするようになります。そして、出来事の意味に気づき始めます。その旅のストーリーが見えてくるというか。

旅は自宅を出るところからすでにパターンが起きています。パターンはだいたいその旅で何が起こるか関連することがシンクロしているようです。空港までの信号や出会う人、電車の状況の混み具合など、空港に着くまでに色んなことを体験しますよね。そのパターンはその先へつながっていることが多く、その旅の重要なヒントになるように思います。 今、自分が体験していることに何のメッセージがあるのかと考えてみる。そうすると、未来に起こる意味が見えてくることがあります。

テンプル ──

都会に住む私たちの中にも野生の本能や直感的な能力はあるんでしょうが、日々の生活の中で奥底に仕舞われて錆びついてしまった気がします。

周生 ──

必要に迫られることで、使えるようになるんだと思います。日常生活では必要ないだけ。本当はみんな全てを持っているのではないでしょうか。必要に迫られる状況が起きないなら、必要な状況を起こすという方法もあります。まずは自分がワクワクすることをやってみることをお勧めします。

後から振り返ると、大学時代に自分がしたいことを選択したことが全ての始まりだったように思います。あそこが全てのスタートラインでした。魂と思考と体全部で決めてきた「本来の目的」に気がつくタイミングは、人それぞれ違うと思いますが、僕は大学時代のあの時がそうでした。

テンプル ──

サハラ砂漠にしても世界の果ての極限の地でも、突然、窮地に陥るような出来事が起こるじゃないですか。もう死んでもいいや、と思っているから極限の地に行けるにしても、世界の果てで、たった一人でその窮地をくぐり抜け、しかもそれを楽しんでしまう。その絶大な自分への信頼はどこから生まれてきたんでしょうか。

周生 ──

絶大な信頼なのか分かりませんが、自分を偽らず、ただやりたいことをやっているかどうかだと思います。大学時代に思ったのは、今バイクに乗らないと後悔をすると思ったので、やりたかったことをやっただけのこと。バイクで走っている途中だったら死んでも後悔はしないだろうなと。その連続です。他に欲しいものもないし、他にやりたいこともない。だから死ぬことも平気です。今は、ここで生きる目的があるので、当分は死ねないなと思っていますが(笑)。

テンプル ──

そういえば、周生さんの旅では、奇跡的なことがたびたび起こっていましたよね。エピソードをいくつかシェアしていただけますか?

周生 ──

中央アジアのキルギスであったアドベンチャーイベントにカメラマンとして同行したときの体験です。レーサーチームが川を渡る前に、対岸に行って正面から彼らが川を渡るところを撮影したいけど、川底が深く、幅も広くて渡れない。もうそろそろチームが川に到着する頃だなと思っていたら、船がやってきたんですよ、地元の船が。「すいません、乗せてください」と頼んで、ちょうどベストタイミングで対岸に渡って、彼らを撮影ですることがきました。

ボルネオのサバイバル・レースの時も同じようなことがありました。マレーシアからボルネオに行く飛行機で、席が隣り合わせになったフランス人がいました。空港で彼の荷物だけ出てこなかったので、最後まで荷物を探す手伝いをしながら彼と喋っていたんですね。ホテルでも再び彼に会ったので、絶対、彼とは何か縁があるに違いない。だけど、どういうご縁なんだろうと思っていました。

レースの後半あたりで大嵐が来ました。選手もジャーナリストも無人島から出られなくなったんです。僕はサバイバル・ゲームを取材するカメラマンだったので、今夜トップチームのゴールを本土で撮影できないと来た意味がない。

困ったと思っていたら、怪我人が出たので、緊急で救護ヘリが島まで飛んできました。嵐がひどくなる直前にそのヘリが飛んできたんですが、パイロットと目があったら、飛行機で隣だったそのフランス人だったんですよ。本当なら、救護ヘリには怪我人しか乗せられないんですが、そのフランス人はこちらの事情を察知して乗れと目配せしてくれ内緒で乗せてくれました。だから嵐のなか僕だけ本島に移動してレースのゴール写真も僕だけ撮影できたことがありました・・・。

砂漠を走る車

それ以外にも、必要な時に馬やバイクがやってきたり・・・。自分が全ての流れを受け入れ「これをやりたい」と意図がはっきりしていると、答えがすぐそこにいつもありました。馬もバイクも船も日本から持参できなくても、お膳立ては揃っていたんですね。

普段の生活でも、実は必要なものが目の前に全部揃っているのに、みんな遠くを見て「誰か助けに来てくれないかな」とか「ここに・・があったら」とか思ってしまっている。だから肝心なものが見えてこないのではないでしょうか・・・。

テンプル ──

私たち自身の思考が自分の人生の流れを邪魔しているってことでしょうか。

周生 ──

完璧じゃないと思っているのは自分がそう決めているからなのかもしれません。僕の経験上、目の前に自分の必要なものはあることが多いと思います。それに気づき始めるだけで何か変わるように思います。サハラ砂漠の真ん中で、タイヤがパンクしたことがあります。空気が入らなくなった。最初はどうしようかと途方に暮れたけど、砂漠は空気と砂ばかり。空気が入らなければもう一方の砂をタイヤに入れたらいいことに気がつきます。実際にそうやって帰ってきたことがあります。