山田周生氏のタイトル

Interview

周生 ──

仕事で世界中の神がかり的なスポーツ選手を取材するという機会がありました。彼らの多くはハードなトレーニングをしているわけではない。トレーニングをしたとしても、それをトレーニングだと思ってない。飯より好きなことをやっているという感じです・・・。毎日トレーニングに励んで上位に入る人でも、その神がかり的な人にはかなわない。昔、バイクに乗っても4輪に乗ってもすごい60代の人がいたのですが、彼を知らない人がもし彼に会ったとしたら、全く普通の人に見えて、とてもそんな神がかりだと分からなかったと思います。走っている姿を見ると、頑張っているというより楽しんでいる。でも何故か、めちゃ速い。

テンプル ──

サリエリとモーツァルトの舞台劇みたいですね。

周生 ──

そういう人は、競技にとらわれず景色もちゃんと楽しんでいます。 だから、ラリーの地図を見ないでもう1回、同じところを走れると言っていました。僕は取材でいくと、レーサーから見えないよう、隠れて写真を撮ることが多いのですが、そういう人たちは全てお見通し。「今日、君はどこどこで写真を撮っていただろう」とレースの後で言われました。

サハラ砂漠は何万平方キロもある広大なところなので、レース中の選手に出会える確率は少なく、写真を撮ること自体とても難しい場所です。まして道がありませんから、どこを通ってくるかわかりません。初めてレースを撮影しに来た人は、どこに行けば良いかもわからず、砂漠の中で選手に遭遇することすら難しいと言えます。四輪駆動車ならどこでも走れるかというと、砂漠にあったセッティングをしないと数メートルも走れないものです。

僕はサハラ砂漠を走りたい。走りたいがために写真を撮っていたようなものなので、砂漠の奥深くに入って、真の砂漠を体験したい。そういう視点でどんどん砂漠の中に入っていくフォトグラファーでした。夜の砂丘を走り一人砂漠で野宿する。最初はなかなか遭遇することや走ることが難しいため、少しずつ色々なことを学んでいきました。5年くらい経った頃からでしょうか、砂漠のなかでラリーに遭遇する確率が高くなり、10年ぐらい経つと、自分がいる砂丘の目の前で次々と選手たちのドラマが起こるようになりました。

テンプル ──

広大なサハラ砂漠の「ここ」という場所を周生さんが独自の嗅覚で見つけたのか、周生さんがいたから、そこでドラマが次々と繰り広げられたのか。どっちにしても不思議です。

周生 ──

海外に行く時、僕は毎回あるミッションを与えられるのですが、情報が少ないため行ってみないと何が起こるか、どんな方法でそれができるのかは分からない。なので自分をオープンにして頭を柔軟にするようにしています。そして1つクリアすれば、次はもっとハードルが上がって行きました。アフリカのサハラ、南米のアタカマ、中国のタクラマカン、モンゴルのゴビ砂漠、オーストラリアのアウトバックなど様々な場所を走ったことで、必要なメッセージや兆候をキャッチするセンサーのようなものを鍛えられていったように思います。

また、ミッション中に頭の中でタイマーがリンと鳴り、お知らせが来ることがよくあります。その時の節目や変化する「時」を示すお知らせのようです。今、次へ移動するタイミングだよと囁かれている感じです。きっと大きな時の流れがあって、今自分が乗っている流れの移り変わる時期や違う流れにトランスフォームする時が来ていることに対して、お知らせが来るのだと思います。それに従って行動すると、次の列車に飛び乗れたように次のフェーズに切り替わって間に合ったことがわかります。流れの中で自分のミッションを達成するために、そのサインが来るようになったのかもしれませんね。

ハンドルを握る周生さん

テンプル ──

ギリシャ語では、時計が刻んでいるクロノスの時間と、タイミングや「芽がでる、花が咲く」といったカイロスの時間の2つがあるそうですが、周生さんは、カイロスの時間をつかまえる能力が高そうです。

周生 ──

心の底から体験したい、写真を撮りたいと魂が疼く時、使命や目的がある時にはカイロスの時間を捕まえているのかもしれませんね。

テンプル ──

極限のサバイバル状態のほうが周生さんは、生きやすいですか。普通の日常だと生きにくい感じがしますか?

周生 ──

なおこさんから見れば究極のサバイバル状態に見えるかもしれませんが、自分ではそんなに大変なことをしているとは思っていません。日本での日常生活の方がサバイバルが難しいと感じる時があります(笑)。自然界では、自分次第で危険を避けることができますが、都会のような場所ではそうはいきません。人とモノ、情報などが多すぎて自分らしく生きるのはむしろ難しく思えます。

これまで、旅をすることが多く、相手に向かい入れていただくという体験はしてきましたが、人を向かい入れる事はあまりしてきませんでした。一箇所に定住することもなかったですし。しかし、東日本大震災後、ここ東北に定住しボランティアや訪問者を大勢受け入れることになりました。一気に大勢の人に接し、日常生活を体験する機会となりました。

テンプル ──

新たなレッスンの始まりですね。

周生 ──

おかげで、料理をしたり、人をもてなすこともだんだんとできるようになってきました(笑)。まだまだ大した事は出来ませんが。人間としてようやくバランスが取れてきたかもしれません。