山田周生氏のタイトル

Interview

体の勉強

テンプル ──

周生さん、今は普通に歩いていらっしゃいますが、以前、大けがをされて、2年程、松葉杖なしには歩けなかったそうですが、それはいつ頃のことだったんですか?

周生 ──

1990年頃、リビア砂漠でラリーに同行取材したとき事故に会い車の下敷きになりました。脚があり得ない方向に曲がって骨盤から大腿骨が飛び出したような状態で。数時間その車の下敷きになっていました。リビアの病院では治療が十分できないと判断されたのか、パリから小型ジェット機が飛んできてパリに搬送されたんです。パリの病院で緊急手術を受けることができました。実は今も、合金が大腿骨に入っています。

手術はうまくいったんですが、その後の2年間は松葉杖なしで歩くことも、10年ほど正座をすることもできない状態で・・・。それで体のことを勉強するようになったんですね。僕は医者が一人もいないような極地ばかりに行きますから、自分の体は自分で治さなければならない。突然ある日起き上がれなくなることがよくあったものですから。

日本や世界も含め「いい」と聞いたところには100箇所以上治療家を訪ね歩いて、代替療法も含め、様々な治療を受けました。欧米だけではなく、中国、チベット、ネパールにも行きました。

キネシオロジーやカウンセリングも学んだりしました。スリー・イン・ワン・コンセプトやヒプノセラピーもアメリカで体験しました。いろいろな先住民のシャーマンにも会いに行きました。

夜に輝くBDFカー

テンプル ──

バイクやカメラマンとしての顔とは別に、代替療法のエキスパートでもあるんですね。それも世界中で学ばれた・・・。周生さんの人生の濃さは半端ないですね。

周生 ──

いろいろな治療を受けたというだけで治療家ではないですが、多くの治療を垣間見ることができました。心の問題を解決することで、体が治っていく場合もあれば、体からアプローチすることで見えない心の問題を解決する糸口にする場合も。心と身体は連動していることを目の当たりにしました。

僕の場合ある程度治療が進んでもどうしても元のようには戻らない部分がありました。そんな時、心の奥底に眠っている問題を言霊にしていくことで、治ったことがありました。身体についてまだまだ知らないことの方が多いことに気づかされました。

そういうことを学んでいくと、病気って何だろう、果たして病気は本当にはあるんだろうかと思うようになりました。一概にこうだとは言えませんが、病気や病気と云う概念を作っているのは自分自身なのかもしれないですね。

僕も学んでみるうちに不思議なことがたびたび起こったんですね。探究心からいろんなセラピーを訪ね歩いて学んでいくうちに、テクニックも大事ですが、どれだけ相手に寄り添えるか。真剣に相手と向き合い、寄り添うとは何かを怪我を通して考えることになりました。

テンプル ──

大怪我をしたことも周生さんが書かれたシナリオの1つだったんでしょうか。

周生 ──

そうだったのでしょうね。体や心のメッセージを聞くことで大きく自分の世界が広がりました。

テンプル ──

事故後、体の勉強されたことで、ご自身の変化はありますか?

周生 ──

目に見えるものよりも目に見えない流れを追った方が、物事がよく見える。そんなことに気が付きました。そして流れを止めないということは気をつけています。その流れを楽しむ。困った時も思いっきり困ろう、悲しい時には悲しもうと。

事故に遭うまでは、自分の魂と会話をしていたとは思いますが、体には注意を向けていませんでした。心は見ることができませんが、体を通して心にアプローチできることや体を通して相手と話ができたりすることがわかってきました。事故後、自分の体に向き合い、震災後、人の心と向き合うことになったことで、さらに大事なことに気づけたと思います。

怪我の後、ある一線を越えるとその部分からアラームが鳴るようになり、センサーとなって知らせてくれるようになりました。精神力がまさり、体が限界を超えるのを制御できるようになったのかもしれません。おかげで体の声を聞き、自然との対話もしやすくなりました。